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📄市政報告180号 - 四條畷神社“約110年前”の絵葉書 -

今月号は、記事が2つ+4コマ漫画。
その中から、今回は表面の記事を報告します。


しでうなはて今昔⑦

所有する絵葉書から、今号は「四條畷神社 社殿」です。絵葉書の年代は、宛名面から明治40(1907)年4月~大正7(1918)年と推定されます。

下の画像が現在の様子で、社殿の形状は大きく変わって見えます。

しかし、四條畷神社公式サイトから原文のまま引用すると、「現在の本殿は、 明治23年創建当初のまま残っている。

拝殿は鎮座90年を記念し、昭和56年に改築された。本殿正面の鳥居は平成2年の御鎮座100年に際し、伊勢神宮から下賜されたもの。」とのことです。

社殿のうち、御神体が鎮座している建物を「本殿」といい、そこを拝む建物を「拝殿」といいます。

・四條畷神社創建への歩み⑵

内容は前号からの続きとなり、本市発行の「ふるさと四條畷」から原文のまま引用します。その前号については、下のリンクから読むことができます。

『・・・神社の規模、社地・参詣道路等用地の確保、資金面の事など綿密に検討の上、地元の協力はもとより各方面への協力要請が開始されました。
一方大阪府に対しても地元の大きな協力を背景に請願陳情を重ね、計画は着々と進みました。
殊に当時の西村捨三知事は、神社創建に対して熱心に取組まれ、大きな推進力となって下さいました。
これまでの間、委員の皆さんのご苦労は実に大変であったと思います。

機は熟し、府知事が上京し内務省に上申書を提出されたのは、明治二二年六月一七日。
熱意が届き一二日後の六月二九日に内務大臣から「神社創立特許」が大阪府に下達されました。
「 本年六月十七日上申神社創立并社格宣下ノ件神社創立ハ特別ヲ以テ聞届ク社号ノ儀ハ追テ申出ヘシ」と。
これを受けて地元では正式に組織を固め、神社創立委員九八名( 内当市三九名)、 委員長に北河内郡長俣野景孝、副委員長に山口又造・築山俊碩の各氏が就任、一丸となって建社に取組まれたのです。
工事は急速に進み立派な社殿が建立された一二月一六日、別格官弊社に列せられたのです。』  (終わり)

市政報告の画像

データ

PDFのリンクです。上記画像がダウンロード出来ます。

http://nagahata.jp/pdf/Vol180.pdf


<了>

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