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💿Dan Fogelberg - 生涯ラストの曲がファーストアルバムへ -

 ダン・フォーゲルバーグは、1951年8月13日に生まれ、2007年12月16日に56才の若さで亡くなりました。

高校と代表曲「懐かしき恋人の歌 (Same Old Lang Syne)」に登場する食料品店とを結ぶ通りが後にフォーゲルバーグ・パークウェイと改名された。

イリノイ州では、誕生日であった8月13日をダン・フォーゲルバーグ・デーとすることが2015年に議会で決まった。
出典:Wikipedia

Birds

アルバム Love in Time(2009年)ラストの曲。
亡くなった後に発売されたのですが、驚くことに追悼盤ではなくオリジナルアルバムでした。病魔と戦いながら作ったのでしょうか。

また、ダンは他のミュージシャンのカヴァーをすることは殆どありませんでした。
しかし、最後のオリジナルアルバムで、ラストの曲に選んだのは Neil Young のカヴァー。自分の死を見つながら、Birds 以上の詞は作れなかったのかも知れませんね。

It's over と終わりを告げ歌声は終わります。
しかし、その曲の最後に付けられた和音は、ファーストアルバムへと繋がるように作られており、一生涯で発表した16枚のオリジナルアルバムを、ファンは終わることなく順に聴くこととなります。

Birds の詩、ラスト部分です。

When you see me
Fly away without you
Shadow on the things you know
Feathers fall around you
And show you the way to go
It's over, it's over

記事の趣旨と違いますが、日本語で歌うのを見つけて聴いてみると、なかなか味がありました。

To the Morning

ファーストアルバム Home Free(1972年)1曲目。
荒削りで洗練されていませんが、美しい曲で、Birds から続くように始まります。

The Innocent Age

アルバム The Innocent Age(1981年)は2枚組の最高傑作で、ジャケットは冒頭の画像です。

アルバムジャケットを開くと、右側にはダンの優しい顔が。

画像3

レコードは、左右に1枚ずつ収められています。

左側の文字列中央には、多くのミュージシャンへの感謝が記されています。

画像3

そして、このアルバム8曲目が次の曲です。

Same Old Lang Syne

邦題は「懐かしき恋人の歌」です。少し長いのですが Wikipedia の記事を読んで頂ければ、この曲のイメージも変わると思います。

ダン・フォーゲルバーグ自身がウェブサイトでこの曲の歌詞が実体験に基づいたものであることを明かしている。1970年代半ば(後のインタビューでダン自身は「正確には覚えていないが1975年か1976年、多分1975年の出来事」と述べている)のクリスマスにダンが故郷(イリノイ州、ピオリア)に帰った時、昔のガールフレンドにコンビニエンスストアで思いがけず再会した時の事を歌詞にしたものである。

2007年12月にダンは前立腺がんのため56歳で死去したが、その直後、歌の主ジル・グルーリッチ(旧姓アンダーソン)が名乗り出た。彼女は高校時代にダンとデートしていたという。地元紙からの引用であるが、二人はピオリアのウッドラフ・ハイスクールの同級生であった。その後二人は別々の大学に進学する。ジルは結婚してシカゴに引っ越し、ダンはコロラドへ移った。1975年12月24日、二人がそれぞれクリスマスの里帰りをした際、偶然にも再会する。ジルはエッグノッグを買いに、ダンはアイリッシュ・コーヒーに入れるホイップクリームを買いに店を探したが、クリスマス休暇の為周辺の店はほとんど休業しており、たまたま開いていたコンビニエンスストアで再会することになる。前述のようにクリスマス休暇の為、他に入れるような店は辺りになく、二人は6缶パックのビールを飲みながら2時間話した。

5年後、ジルは仕事に行く車の中でこの曲を聴き、歌詞がこの時の実話であることに気づいたジルは驚いたという。しかし、ジルはその時は名乗り出なかった。ダンが実際のところを明かしたがらなかったのと、ジルもダンの結婚生活に影響が出ることを恐れたためであった。 歌詞についてはジルは2か所事実と違う部分があると述べている。ひとつはジルの瞳の色が青ではなく緑であること(二人が交際していた当時、ダンはCSN&Yの「Suite: Judy Blue Eyes」をもじって"Sweet Jilleen Green Eyes"と呼んでいたという)、もうひとつは夫の職業が建築士でなく体育教師だったということである。なお、瞳の色の違いに関しては、後年ジルがダンのコンサートの楽屋を訪れた際「緑より青の方が韻を踏みやすく語呂が良かったから」と説明されたという。また、夫の職業の違いについても、ジルは「彼が夫の職業を知っていたとは思えないので、歌に合うように建築士という設定にしたのではないかと思う」とコメントしている。歌詞の「夫を愛していると言いたかったかもしれないが、嘘をつきたくなかった」の部分について、ジルは「これはおそらく個人的すぎる話なので」と語り、詳細についてコメントを避けているが、この曲がリリースされた1980年時点でジルと当時の夫は既に離婚していた。
出典:Wikipedia

マルチプレイヤーであったダン、もっと多くの曲を聴きたかった・・・。

ジェイムス・テイラーなどの1960年代フォークを基盤としながらも、ギター、キーボード、コーラスなど全て一人でこなし、それらを多重録音によって表現するスタイルは、「一人CSN&Y」とも呼ばれた。
出典:Wikipedia

ジャケットも楽しめるアナログレコード、好きだなぁ。

<了>

※ レコードジャケットの著作権を考慮し、以前の記事における画像サイズを小さくしています。そのため画質が荒くなり、記事の内容が理解しにくい場合があるかも知れませんがご理解下さい。他の投稿も、順にやり直しています。

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