重光 正向寺

広島市佐伯区湯来町白砂にある浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。 2020(令和2)年…

重光 正向寺

広島市佐伯区湯来町白砂にある浄土真宗本願寺派(お西)の寺院です。 2020(令和2)年10月よりnoteをはじめました。 お寺の活動を通しての学びや研鑽にnoteを活用させていただこうと思いますのでよろしくお願い致します。

最近の記事

浄土真宗本願寺派の宗会によるロシア軍のウクライナ侵攻を非難し、戦争の早期終結を願う決議

2022年2月24日、ロシア軍はウクライナに侵攻した。いかなる理由があれ、武力で他国の主権を蹂躙するこの蛮行を強く非難する。また、これに協力したベラルーシも、同様に強く非難されるべきである。  さらにプーチン大統領は、核兵器の使用も示唆した。許しがたい言動である。  爆撃を逃れ、地下に避難した子どもの声を我々は聞いた。「死にたくない。戦争が早く終わって欲しい」と。  一方で、この武力行使を非難し、戦争に反対する声が全世界に広がっている。ロシアでも、強権的な弾圧にもかかわらず、

    • 浄土真宗本願寺派のロシア連邦によるウクライナ侵攻に対する声明

      2022年2月24日、ロシア連邦がウクライナへの軍事侵攻に踏み切りました。  ウクライナの各都市では子どもを含めた多くの民間人が犠牲となり、加えて100万人を超える国民が難民として避難を余儀なくされていると報道されています。  私たち浄土真宗本願寺派は、いかなる理由があろうとも、人命を軽視し、武力で一方的に現状を変更しようとする暴力的な行為に抗議し強く反対の意を表します。  このたびのウクライナへの侵攻だけでなく、世界各地でテロや武力紛争が続いている現実があります。あらためて

      • 和漢朗詠集にみる朝には紅顔あって

        藤和公任さんが中心となって編纂された平安中期の詩歌集である和漢朗詠集の一節に蓮如上人の御文章白骨章に似たような一句がありましたのご紹介します。 朝有紅顔誇世路。暮為白骨朽郊原。 朝には紅顔ありて世路に誇これども、暮べには白骨となりて郊原に朽つ、 あしたにはこうがんありてせろにほこれども、ゆふべにははくこつとなりてかうげんにくつ、 中陰願文 藤原義孝 蓮如上人がこの白骨の章のお手紙をしたためられた背景にはこの詩が背景にあるような気がします。

        • 三帖和讃 浄土和讃 讃阿弥陀仏偈和讃

          顔容端正(げんようたんじょう)たぐひなし 精微妙軀非人天(しょうみみょうくひにんでん) 虚無之身無極体 (こむししんごくたい) 平等力を帰命せよ(びょうどうりき) その顔かたちの端正なことは何ものにもらべようがない。 その身の美しくすぐれていることは人間や天人のたぐいではなく、 かたちを超えたさとりの身を得ているのである。 すべてのとらわれを離れさせるはたらきをそなえた 平等力を拠り所としよう。

        浄土真宗本願寺派の宗会によるロシア軍のウクライナ侵攻を非難し、戦争の早期終結を願う決議

        マガジン

        • 重光 正向寺 note日誌
          2本

        記事

          別れ

          人は去ってもその人のほほえみは去らない 人は去ってもその人のことばは去らない 人は去ってもその人のぬくもりは去らない 人は去っても拝む掌の中に帰ってくる  (『ひととき 私をささえる言葉』中西智海) 中西智海先生のお言葉 多くの出会いや別れの中で深く味合わせていただきました。

          諸経のこころによりて弥陀和讃

          無上上は真解脱 真解脱は如来なり 真解脱にいたりてぞ 無愛無疑とはあらはるる この上ないさとりである無上上は、迷いの世界を完全に離れた 解脱であり、 この真解脱は、真実のさとりを得た如来である。 真解脱に至ってはじめて、貪りや疑いのない境地が現れるのである。 浄土真宗本願寺派. 三帖和讃(現代語版)より

          諸経のこころによりて弥陀和讃

          讃阿弥陀仏和讃

          仏光測量なきゆゑに 難思光仏となづけたり 諸仏は往生嘆じつつ 弥陀の功徳を称せしむ 阿弥陀仏の光ははかり知ることができないから、 難思光仏と申しあげる。 あらゆる仏がたは、すべてのものを往生させる 阿弥陀仏の功徳とそのはたらきをほめたたえておら れる。 #三帖和讃

          讃阿弥陀仏和讃

          高僧和讃 道綽讃

          縦令一生造悪の 衆生引接のためにとて 称我名字と願じつつ 若不生者とちかひたり 阿弥陀仏は生涯悪をつくり続けるものであっても必ず摂め取ろうと、 ご本願に「わが名を称えて、もし生まれることができないようなら、 さとりを開かない」とお誓いになっている。

          高僧和讃 道綽讃

          高僧和讃 曇鸞讃

          本願円頓一乗は 逆悪接すと信知して 煩悩・菩提体無二と  すみやかにとくさとらしむ すべてのものを速やかに完全なさとりに至らせる唯一最上の本願は、 五逆や十悪のものも摂め取ってくださると信じるところに、 煩悩とさとりは別のものではないと 速やかにさとらせてくださる。 浄土真宗本願寺派. 三帖和讃(現代語版) (Kindle の位置No.3004). 本願寺出版社. Kindle 版. 五逆   五種 の 重罪。 一般 には、 ① 殺 父( 父 を 殺す)、

          高僧和讃 曇鸞讃

          五種の不可思議

          さまざまな経典に説かれる五種の不可思議。 ①衆生多少不可思議  衆生が無量無辺で尽きないことの不可思議。 ②業力不可思議  各人の業の力により受ける果報が千差万別である不可思議。 ③竜力不可思議  竜神が風雨をおこす不可思議。 ④禅定不可思議  禅定の力により神通をあらわす不可思議。 ⑤仏力不可思議  仏法の力により衆生にさとりを開かせる不可思議。 浄土真宗本願寺派. 三帖和讃(現代語版) (Kindle の位置No.4527). 本願寺出版社. Kin

          五種の不可思議

          聖徳奉讃

          久遠劫よりこの世まで あはれみましますしるしには 仏智不思議につけしめて 善悪浄穢もなかりけり 果てしなく遠い過去からこの世に至るまで、 救世観音様は慈しみの心から、 思いはかることのできない阿弥陀如来様の本願にすべてのものを導き入れ、 善いも悪いも浄らかも穢れも分け隔てない。

          聖徳奉讃

          多生曠劫この世まで あわれみかぶれるこの身なり 一心帰命たえずして 奉讃ひまなくこのむべし これまで果てしなく長い間生まれ変り死に変りし続けてきた中で、慈しみを受けてきたこの身である。阿弥陀如来様に一心に帰命し、絶え間なく敬いつづける

          正像末和讃

          仏智不思議を信ずれば 正定聚にこそ住しけれ 化生のひとは智慧すぐれ 無上覚をぞさとりける 思いはかることのできない阿弥陀如来様の智慧を信じる人は、間違いなく正定聚の位に定まり、真実の浄土に生まれた人は智慧をそなえ、この上ないさとりを開く

          正像末和讃

          無明煩悩しげくして 塵数のごとく偏満す 愛憎違順することは 高峰岳山にことならず 無明煩悩が激しくおこり、 数限りなり塵のように満ちわたっている。 ほしいままに愛着や憎悪をいだくありさまは、 まるでそびえ立つ高い峰や岳のようである。

          一流安心

          言南無者即是帰命・亦是発願回向之義、言阿弥陀仏者即是其行・以斯義故・必得往生

          高僧和讃 源空聖人

          真の知識にあふことは かたきがなかになほかたし 流転輪廻のきはなきは 疑情のさはりにしくぞなき 真実の善知識に出会うのは 難しいことの中でも特に難しい 迷いの世界を果てしなく生まれ変わり死に変わり続けるのは、まさしく阿弥陀如来様のご本願を疑うというさまたげによるものである。

          高僧和讃 源空聖人