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【読書感想文】暑い夏に、寒い冬の物語を

好きな作家の本は図書館・本屋で片っ端から手に取りたくなるものだ。少なくとも私は、そういうタイプである。

一つの作品がその時作家の見た世界の描写だとすれば、作品群を読みつくしていく行為はその作家の頭骨の中にある世界を俯瞰して覗き込むことに近くなるはずだ。

単行本として世に出されている以上それ単体で意味を為し、理解可能であることは必要だが、それらに跨って存在する世界観があるのはいいことだ。

そして村上春樹は、私にとってそのような読み方をしたい作家の一人である。

まだあまり多くの著作を読んだわけではないが、今日読み終えた『世界の終りとハードボイルド・ワンダーランド』は私が読んだ村上作品の中でもっとも好ましい本だと感じた。

私はこれをハートウォーミングな冒険小説だと思った。

実写映画で見たい!と一瞬思う程度には空想(虚構らしさ)が十分であったし、節々に散りばめられた哲学的示唆が面白かった。

実際に実写化するには「暗闇」のシーンの描写が不可能であろうし、「世界の終り」と「ハードボイルド・ワンダーランド」の並立構造を維持するのが難しいだろう。残念。

中でも、地下に住まい、地下鉄の線路でさえ我が物顔で闊歩するという「やみくろ」という生物がどのように可視化されるのかは個人的に特に気になる点である。

形態への言及は深くなく読者の想像に任せられるところなのだろうが、私はこう考えたとき『ハリー・ポッター』に出てくるまね妖怪ボガートを思い出した。それは、「人が一番怖いと思うものに自在に姿を変えることができる」という。(ハリー・ポッターWiki, まね妖怪 より)

「やみくろ」がどのような姿をしているのか、きっと読み手によって違う姿を頭に描くはずだ。考えるのは愉快とはいえずとも中々面白いだろう。


物語の主軸は「やみくろ」ではない。

「疲れを心の中に入れちゃだめよ」と彼女は言った。「いつもお母さんが言っていたわ。疲れは体を支配するかもしれないけれど、心は自分のものにしておきなさいってね」
「そのとおりだ」と僕は言った。―上p.106
「でも本当のことを言うと、私には心がどのようなものなのかがよくわからないの。」
「心は使うものじゃないよ」と僕は言った。「心というものはただそこにあるものなんだ。風と同じさ。君はその動きを感じるだけでいいんだよ」―上p.107
「信じる?」と僕は驚いて訊きかえした。「たぶん」と彼女は言った。(中略)「たとえ何であるにせよ、何かを信じるというのははっきりとした心の作用だ。」―下p.253

「心」のある者、ない者で何が違っているのか。「心」には厄介なところも様々あるがどう捉え、向き合うものか。そんなことを考えさせられる。


並行する二つの物語の片方では「厳しい冬」の描写も多い。手袋をつけ、マフラーを顔まで引っ張り上げるような厳しい異世界の冬に思いを馳せるのも、醍醐味の一つかもしれない。


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