リンクスの断片ハイスクールギャンビット 転校生リンクス 4
80「じゃあリンクスは俺の後輩に」
僕は鏡に映る自分の姿を穴が空くほど見つめていた。鏡には小柄の、だけど筋肉の塊としか言いようがない少年が映っている。丸い顔には醜い傷跡が浮かび上がっていて、お世辞にも美男子じゃない。それに淡いグリーンの瞳は虚空を見つめているように虚ろで、なんだか怖い。わかっている…これが僕の姿だ。
だけどいつもの姿と大きく違うところがある。今日の僕は古ぼけたポンチョ姿じゃないのだ。もちろんコンバットショーツとブーツだけの、剣奴の姿でもない。鏡の中の僕は黒い詰め襟と折り目のついたズボンまで着ている。見たことのない僕の姿が鏡の向こうにいる。
僕は鎖の剣奴だから、こんなきちんとした服は着たことがない。鎖の剣奴として調教を受けていたときは当然全裸だったし、特殊研究部隊のバトルパペットに改造されてからは、特殊繊維でできたコンバットショーツとパワーガントレット、そしてブーツだけの、やはり裸同然の姿だった。僕は人間じゃなくて兵器だから、不必要な服など与えられなかったのだ。
今のみんなに拾われてからも、あまりにも筋肉質の体型のせいで、着る服がなかった。バトルパペットの裸同然の姿にポンチョを被った程度か、せいぜいカーゴパンツとダブダブのTシャツ程度だ。カーゴパンツだって大きすぎて裾を引きずるか、それとも小さくて太ももが入らないかのどちらかだった。
ところが、突然こんなきちんとした服を着ることになってしまった。
「リンクス、とても似合う。ほんとにサンドマンみたい」
後ろで僕の詰襟姿を見ているサンドラーさんは、不安そうな僕に向かって褒めちぎる。サンドラーさんは前にも説明したけれど、サンドマン族の名士で僕らがお世話になっている人だ。砂の精霊族で鎧の中に住んでいる。様々な種族が暮らすイックスでも飛び抜けて異色の種族だろう。実際、僕やセミーノフさんですら初対面のときは本当に面食らってしまったし、帝国出身のルンナさんなどはしばらく絶句してしまったほどだ。
意外なのは同じ帝国出身のリキュアさんで、精霊種族はセイバーさんで慣れたとでも言うように、すぐに馴染んで歓談し始めている。リキュアさんは神将で、異界での冒険の経験があるから、意外と異種族も平気なのかもしれない。
サンドラーさんは僕らのことをとても気に入ってくれていて、今回も僕が学校に行けるよう、いろいろ手配をしてくれた。僕の主人テレマコスさんが不在の間、親代わりを買って出てくれたのだ。それに困っていた住居問題も、サンドラーさんのお屋敷、サンドマンバームガーデンに皆で住み込むことになり、無事解決した。僕はここから学校に通うことになったし、リキュアさんやルンナさんもこんな良い住居を借りることができるなら願ったりかなったりだろう。
テレマコスさんを見送ってから、僕らは早速サンドマンバームガーデンに引っ越した。僕とセミーノフさん、ルンナさんとリキュアさんだ。セイバーさんは事務所という家があるので、移り住む必要はない。タルトさんだけど、一応サンドマンバームガーデンに部屋を借りて荷物を置くことにしたのだけれど、ダイ・アダールの支部のほうが忙しい。お師匠さん…ダイ・アダールの高司祭さんの代理だから、やはりいろいろ用事があるようだ。それでも週に一度くらいは顔を見せてくれる。
元々サンドラーさんはこの広い屋敷に一人暮らしだったので、僕らが住むことでいろいろ助かると言っている。もちろん昼間は身の回りの世話をする家政婦さんや、サンドマンバームガーデンを訪れる観光客の相手をする係員がいるのだけれど、夜はサンドラーさん一人だったのだ。大都会イックスと言っても、夜中に人がいないのは不用心だから、僕らでも同居していたほうが良いのだろうけれど…急に騒がしくなってしまって申し訳ない気持ちになる。
とにかくサンドラーさんは僕らの身元を引き受けてくれたのだ。製薬会社の会長さんだから、信用もある。おかげで僕みたいなやつでも無事に学校に通えることになった。
学校に通うとなるといろいろ必要なものがある。教科書とか、文房具とか、少しばかりの入学金とかだ。学校はイックス公立だからそんなに入学費用は高くない。セイバーさんからもらっていた給料で十分支払える。教科書や文房具だってすぐにそろえることができた。ところが厄介なのは意外なことに通学の服…学生服だった。
実は今着ているこの詰襟もサンドラーさんのお古だ。急に学校にゆくことになったので、新しい服が間に合わなかったのだ。僕は体型が特殊なので、既製服ではサイズか合わない…そういう理由で、サンドラーさんが若い頃着ていたという学生服をお借りすることになってしまった。
サンドラーさんは物持ちが良いらしく、この詰襟もずいぶん古いものなのに型崩れ一つしていない。こんな素敵な服を貸してもらえるのはとても嬉しいし、このサイズなら僕でも着ることができそうだ。脇のところがすこしパツパツだけど、これくらいなら我慢できる。
だけど「サンドマンみたい」というのは褒め言葉なんだろうか?そこのところは今ひとつわからない。サンドラーさんのセンスはどうにも独特で、お屋敷の調度品もなんだか不思議なデザインが多いから、ちょっと不安になる。
「大丈夫よリンクスくん、学生服って誰にでも似合うようにできてるんだから」
ルンナさんはそう言ってくすくす笑う。僕が着慣れない服を着て、困惑しているのが面白いのだろうか?それともやっぱり似合ってないのだろうか…一方のセミーノフさんはなんとも言えないというような表情だ。違和感がすごいという感想が顔から溢れている。僕自身がそう感じているだけに、気持はよく分かる。
セミーノフさんは首を傾げて言った。
「だけどちょっとその服、大きいんじゃないのか?特に裾のところ…」
「そう?そうかしら…言われたらちょっと大きいかしらねえ…」
そういいながらルンナさんはセミーノフさんに目配せしている。余計なことを言うなというゼスチャーだ。似合わないなんて言ったら後でとっちめるという意思がありありと見える。ルンナさんは優しいから、僕が傷つくと考えているのだろう。
実際のところ、似合っているかどうかはよくわからないけれど、サンドラーさんから借りた詰襟がちょっと大きいというのは間違いない。肩幅はちょうどいいんだけれど、やっぱりズボンの裾と腕が長い。砂のカラダのサンドマン族に体格なんてものがあるのかはともかく、少なくともサンドラーさんは僕より大きいのだろう。
「少年、服なんてものは自信をもって着ていれば似合ってくるものだから、心配することはないのだ」
セイバーさんの傍らでリキュアさんが言う。リキュアさんは女優みたいにきれいな人だから、どんな服を着ても似合う。僕みたいな小柄の筋肉ダルマとは違うような気がする。
が、いずれにせよこれからはこの服を着て、学校にゆかなければならない。
ソファーにくつろぎながら僕らのやり取りを面白そうに見ていたセイバーさんは言った。
「まあオーダーメイドの詰襟が仕上がるまでの辛抱さ。裾のところは巻くしかないな。カラーはとめられそうか?リンクス」
詰襟だから当然、首のところはカラーがあって、留められるようになっている。けどとても無理だ。僕は首が太すぎて、サンドラーさんの詰襟でもカラーを留めることはできそうにない。
「流石に無理か…リンクスはほんとに首太いからなぁ」
「店の人もびっくりしていたものね。仕方ないわよ」
たしかに先日服屋さんで採寸したときも、あまりの首の太さに職人さんが目を丸くしていた。ドワーフ族の戦士とか、人間ならレスラー並みの太さだそうだ。と言われても僕にはそれが良いことなのかわからない。いや、既製服が着られないのだからこれは不便なんだろう。
詰襟の前ボタンをしめていると少し窮屈になってきたので、なんとなくはずしてみる。するとセイバーさんは額に手を当てて苦笑した。
「おいおい、学校に行く前からもうすっかりヤンキーみたいだぞ」
セイバーさんにつられてルンナさんやセミーノフさんまで笑い始める。ヤンキーって言うのは、学校でちょっとハグレモノの学生のことだそうだ。詰襟を格好良く着崩している人が多いらしい。もちろん会ったことはないのでどんな人たちなのかはわからないけれど、服装だけは目立つのだろう。
僕は返事できずに頭をかく。ヤンキーかどうかはともかく、詰襟をきちんと着こなせないのは事実だからだ。
「ところでサンドラーさん、リンクスが入る学校は決まったのか?」
セイバーさんは笑いながら言った。学校というところは普通、年度に合わせて入学するものだから、中途半端なこの時期だと編入という形になる。それに僕の場合、記憶もないし、経歴なんてとても他人に見せられない。いや、それ以前に人間ですらないのだ。そんな僕でも通える学校なんてあるんだろうか…
ところがサンドラーさんは少し砂を吹き出して自信たっぷりに答える。
「役所から連絡きた。フリーダムヒル高校。ここから近い」
「ふむ、まああそこなら単位制だから通いやすいな。科目受講生も多いし」
セイバーさんは少し考えたあと納得したように頷く。単位制というのは、指定の授業を全部受講すれは卒業できるというシステムの学校だ。受講する順番は自由だし、夜にも授業がある。仕事をしながら通いやすい。語学だけとか、資格を取るために特定の学科だけを学ぶ科目受講生という制度もあるそうだ。
もちろん半分くらいの学生は、昼間の授業を受けているので、そういう人にとっては単位制と言っても普通の高校と同じだ。だけど移民の多いイックスでは、他の大都市に比べて自由度の高い単位制高校は人気がある。一番近い高校というわけじゃないけれど、僕のような立場の学生には都合がいいかもしれない。
「イックスは世界中から移民が来るからな。高等教育機関が未整備の国から来た人も通いやすいように、単位制や通信制も多いんだ」
セイバーさんは僕を安心させるように言った。この人には僕の不安が手に取るようにわかるのだろう。普通の人とは経歴も何も違いすぎる僕は、学校なんてところに馴染めるのかわからない。軍隊にいた経歴から集団生活には慣れているけれど、学校とはまったく違うだろう…そんな不安がきっと僕の顔には浮かんでいるに違いない。
しかし意外なところから意外な反応が飛び出して、僕だけじゃなくセイバーさんも大いに驚くことになった。
「そうか!フリーダムヒルか!じゃあリンクスは俺の後輩になるんだな!」
セミーノフさんはニコニコと笑いながらそういった。フリーダムヒル高校はセミーノフさんの出身校だったのだ。
* * *
「フリーダムヒルってどんな学校なの?セミーノフが行ってたんだから、ちょっとガラ悪そうね」
ルンナさんは冗談めかしてセミーノフさんに聞くと、リキュアさんやセイバーさんまで吹き出してしまう。すると恥ずかしそうに頭をかきながら、セミーノフさんは答えた。
「いやぁ…その、お世辞にも上流って学校じゃないな。ヤンキーもいっぱいいたし」
「まさかセミーノブもそうだったの?」
「まあな。短ランでボンタンズボン穿いてた」
(ソルジャー・リンクス、変形学生服のことです。詳細は不明)
短ランとかボンタンとか、聞いたことのない言葉に、僕は目を丸くして聞いているしかない。驚いたことにサイコヘッドギアの人工精霊もこういうスラングは苦手らしく、困惑しながら解説になっていない解説をしている。
「元々フリーダムヒルは制服なんてないんだ。標準服ってことで学ランがあるんだけどさ」
「じゃあ何を着ても良いんじゃないの?」
「そうなんだけど、結局男は学ランが多かったな。毎朝の服選びに悩まなくていいし。だけど女子は結構華やかだったぜ」
セミーノフさんは懐かしそうに笑顔になって僕らに解説してくれる。きっと学生時代のことを思い出しているのだろう。
セミーノフさんの話を聞いていると、だんだんフリーダムヒル高校の雰囲気や当時のセミーノフさんの様子が見えてくる。きっと時々学校をサボったり、部活に熱中して授業では寝ているような、お世辞にも出来がいいとは言えない学生だったのだろう。セミーノフさんが卒業して軍に就職したのも、喧嘩っ早くて勉強よりカラダを動かす仕事のほうが好きだったせいに違いない。
「ま、とにかくフリーダムヒルは校風も自由だし、仕事しながら通いやすいからいいんじゃないか?心配すんなよ」
不安げな僕にセミーノフさんは笑う。僕はその笑顔に励まされて、少しだけ不安が消えた。これから先どんなことが起きるのかわからないけれど、まっすぐ進めばきっと突破できる。僕は今までもそうしてきた…そしてこれからもそうするしかないのだから。
そんな僕の思いが見えたのか、セイバーさんは僕に頷くとこんな事を言った。
「リンクス、まあお前なら滅多なことでは危なくなることはないと思うが、やり過ぎは控えろよ」
「ははは、たしかに言えてる」
僕は少し硬い表情で頷く。鎖の剣奴として受けた調教と、バトルパペットに改造された肉体は、普通の人では考えつかないようなことを引き起こす可能性があるからだ。軽く殴ったつもりでも人が吹っ飛びかねない。そのことをよくよく自覚して、自分を抑えなければならない。
ところがセイバーさんは続けてこんな事を言った。
「ともかくだ、何か気がついたこととか気になることがあったら、極力早く俺達に相談してくれ」
「はい」
「セイバー、それって?」
セイバーさんの言い方は、何か普通とは違うような気がする。「気がついたこと、気になること」というのは、まるで事件や陰謀が隠れているような言い方だからだ。
訝しげなセミーノフさんやルンナさんに、セイバーさんは笑った。
「いや、気にしないでくれ。少しばかり噂を聞いただけだ」
だけどセミーノフさんはそんなセイバーさんの歯切れの悪い答えを許さなかった。
「セイバー、リンクスは俺の後輩だぞ。不安要素あるなら言ってくれよ」
セミーノフさんはことさら後輩という部分を強調して言った。僕が後輩になるのがセミーノフさんは本当に嬉しいのだろう。僕をかばうようにセイバーさんの前に立つ。
セイバーさんはすると苦笑しながら答えた。
「いや、フリーダムヒル高校どうだという話じゃないんだ。リンクスが学校にゆくという話になってから、学校にまつわる最近の情報をざっと調べただけなんだが…」
まだイックスに戻って数日しか経っていないのに、セイバーさんはさっそく活動している。一年近いブランクがあるから、大急ぎで最近の情報を集めているのだろう。些細な兆候かもしれないけれど、何か引っかかる話をに聞きつけたのかもしれない。僕らはセイバーさんの巨体を見上げた。
「それで何がわかったんだ?セイバー」
するとセイバーさんは手元の大きな手帳を取り出して、メモを見た。
「俺達の学生時代にもいたが、暴走族の連中の組織は相変わらず元気らしい」
「あー、イックス狂騒連合だろ?知ってる知ってる。あいつらまだやってるんだ」
「なにそれ?すごい名前ね」
ルンナさんのツッコミにセミーノフさんは笑う。暴走族というのは深夜に派手な音楽を鳴らしながら、集団で街中を車や馬、空飛ぶ絨毯とかで疾走するグループのことだそうだ。騒音をまき散らす無許可のパレードのことなのだろう。といっても僕は見たことがないので、普通のパレードとどこが違うのかはわからない。サイコヘッドギアのデータベースにだってそんなものは無いから、人工精霊も困ったようにエラーを出している。
「まあフリーダムヒルは、そんな奴らが結構多い学校だからリンクスも目にすることになるだろう。それに…」
「?」
「ヤンキーグループはイックスの暗黒街とも繋がりがあるらしいから、それなりに気をつけたほうが良いようだ」
そういってセイバーさんは肩を竦める。そしてセミーノフさんのほうを見ると言った。
「まあヤンキー社会については俺よりもセミーノフのほうが詳しいだろうし、そのへんはフォローしてやってくれ」
「まあな、もう十年近く前だけどな。やっぱりセイバー気がついてたのか」
「相当気になるという顔をしているからな」
ブーメランをくらったような表情になってから、すぐにセミーノフさんは笑った。どうやらやっぱりセミーノフさんは元ヤンキーで、それなりに暴れた人らしい。さっきから高校の話に興味津々なのもそれが理由だろう。
セミーノフさんがヤンキーだったということでもわかるように、フリーダムヒル高校というところは、かなりガラの悪い学校なのだ。僕はカラダが小さいし、口べただからそういう連中に絡まれやすい…セイバーさんはそれを心配しているのかもしれない。
だけど…
僕はセイバーさんの不安がもっと深いところから来ていることに気がついた。セイバーさん自身がまだ言葉にできない、言い知れない不安感だ。いや…あれはセイバーさんの不安じゃない。僕自身の不安感なのだ。わかっている…
僕のゆく道は血塗られている…バトルパペットは闘うために生み出された兵器だからだ。だから学校という名の日常にもきっと死闘は追いかけてくる…そんな予感が僕の心の奥に沈殿している。
緊張した面持ちの僕を見て、セイバーさんは少し笑うと頭をなでてくれた。
(81「あんな転校生のチビに」へ続く)
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