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現役ミュージシャンの歌声分析

ボーカルディレクション大会、なるものをミュージシャン仲間で開催した。ちなみに2回目!

この会ではカバー曲を5人のvocalistで歌割し、コーラスし合い、ディレクションし合う。

Vocal陣の多種多様な声質と歌い回しの作り方、フレーズの選択やタイム感について、個人的観点に基づいた分析と着眼点をここに記す。

2021年10月某日

まず初めに、あくまでこれは私の主観と着眼によるものだということを強く繰り返しますね。

歌う人目線の分析を行うことで、それぞれのvocalistが曲にとってどのような作用と効果をもたらすのか。スキルとセンスの狭間。
自分の歌にも還すことを目的としたレポートです!どうぞお手柔らかに。


'声は最大の魅力' AMI(TENDERLAMP)

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彼女の最大の魅力といっても過言ではない、類い稀なるその声質は狙って作ると大抵幼くなる事が多い。でもそうならないのだ。

よく「歌は楽器も奏者も自分自身」といわれるが、彼女の声は私からすればとても操縦が難しいマニュアルタイプの車のようだ。(免許もってないです。例えです、ごめんなさい)
よく操ってるなぁと感心するし、ドラマーでもありお芝居もやる彼女は意図的に声のTPO、つまり場面展開を嗅ぎ分けている。奏者にとって大切な、歌声に対する'嗅覚'が鋭い事と同等ではないかと考えられる。
優しい場面は漂うように、ポップには跳ねるようなバウンド感、強さには芯を力強くしなやかに描く。その彩りはまるで絵描きのようだ、と持論に辿り着いた時、彼女が以前オンラインLiveで飾っていたオリジナルの絵を思い出した。    あ、描いてるじゃないの。そりゃあ描けるさ!と1人納得したのはここだけの話。
その声色を表すなら"大地の恵みからなる自然の流水のように常に新しく瑞々しい"と表現したい。

セーラームーンで言えば水色のマーキュリー!(すみません世代です、あしからず)

'揺らめきは人の胸を打つ'  宇尾 元太

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"歌への思い"と言ってしまえばそれは簡単だけど、たくさんの葛藤との狭間でやっと巡り会えた声帯の振動をもって歌う、そのフレーズの力強さを今回はとくと目の当たりにできた。     その声源は、奥深い森林の洞窟で大切に護られているような気がする。

まず彼が持つ歌声の波長は一定ではない。   (一旦きいて、一旦!)
ここでの一定ではない、という表現はとても良い意味なので誤解しないでほしいのだけど、火の揺らめきに近いものがあると感じるという意である。落ち着くような、揺さぶられるような、現実と夢の狭間のような不思議な暖かさに包まれるような感覚だ。とくに顕著なのは語尾のしまい方。もっと言えば母音の消え方が特徴的。本人の意図はないかもしれないけど、手を離すように息が抜ける一瞬の距離感に垣間見える確率が高い。

声の波は声紋と呼ばれるほど人それぞれだから、ほとんど同じはあってもピッタリ一緒はないはず。その上で、彼に合わせられる声の波は、彼しかいないんじゃないかというほど独特。    以前彼の歌に勝手にハモった事があって、字ハモはちょっと…いや実は結構練習した。      掴めそうで掴めない雲、似ているようでよく見ると違う一卵性の双子みたいな。(録音した波形を見るとわかる!ね、遊ちゃん!)

そしてその独特な、捉え方によっては危なげで儚げな'揺らぎ'こそ、彼の歌が支持され人の胸を打つ理由の1つなのではないだろうか。

'母音の湿度は随一' Akitoshi Kamberland

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彼の持つ母音の湿度はとても高く、しなやかである。というのは、日本語は特に子音と母音で成り立つ言葉の響きに逆らえないので、歌になるとそれはとてもわかりやすいと私は考えている。  もちろん曲調やジャンルにもよるので一概に言えるわけではないけど、今回の曲を歌う彼にはそう感じたのだ。

レコーディングしている時に、手や足、身体でリズムを刻むとしよう。そのビートをどう感じてどう表したいか、が重要。

彼の場合は足でのバウンス(かかとは付かずずっとバネの様にしている)による上下の動き、プラス手の動きや顔の向きを少し斜めにとることで奥行きを作る間があるように見えた。        何より、母音の時間が長いのだ。だから歌の表情がそこに乗りやすく、母音を押し出しながら丁寧に発音することにより、ウェッティな余韻を作ることができる。そして発音が切れる直前まで歌い切っているのでブレスも歌として繋げられていて柔らかく聞こえる。

彼の歌声が前回の大会時から'やさしい属'と呼ばれるのは、その母音に対する湿度の高さによるものなのではないかと考える。
だからこそオラオラした歌い方を引き出したくなり、間奏のWoo〜yeahでの私のディレクションは少し、いや大分?しつこくしてしまった。   そういう所がある。             (ごめんなさいね、でも良いの録れたよね!)


'彩りは全部三原色から始まる' 高橋 遊

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彼女の歌声は数年前から聴き慣れていると思っていたけど、今回はすでに録り終えていたメインパートを聴いて、すごくしっとり発音しているなぁと感じた。その歌声はこのボーカル勢の中で一番スタンダード。色でいうと三原色に近い。   だからと言って一色だけで終わらない、その音色にはちゃんと混ざったグラデーションのような 表情がある。

sax奏者でもある彼女の低音は、潜らず暗くならず、落ち着いた安心感が強い。低音は息を深く吐くので、楽器を吹くように声を乗せるから、歌声として鳴りつつも安定している。とても素直で淀みない、耳馴染みの良い歌になる。出だしのフレーズのしっとりした発音、とはつまり濁点のついた発音も含めて子音が強すぎないということ。 でもはっきりと聞こえるのは彼女の歌い方の工夫だ。小さい「っ」が入るフレーズは母音を繋げがちだけど、彼女はしっかり区切っている。   そうすることで言葉が流れずにリズムが出てメリハリがつく。きっと迷わず選んでいる歌い方だろうけど、彼女らしさが出ているなぁと感じるフレージングだ。

楽器と歌声はリンクするという持論があるのだけど、saxの音色のように真っ直ぐで、時折り憂いがあって、高音は伸び伸びとした鳴りの良さ、そしてど真ん中を確実に突いてくる音程感。
ほら、やはり楽器と奏者は一心同体なのだ。  (きっと楽器に選ばれてる気もする。ハリーポッターの寮決める帽子みたいにさ)

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ということは、歌声を操るVocalistはその両方が元々身体に備わっているわけで、例えば自分に合う楽器を見定めて選べたり、古くなったからと取り替えたりできるものではない。

でも、奏者を磨く事はできる。

その可能性を活かすも殺すも自由だけど、今回参加しているvocal陣は少なくとも磨く人達なのだろう。
歌に向かう姿勢やイメージ、選ぶトーン、フレーズの選択肢、もっと言えば一つ一つの言葉の響きを大切にしているからこそ、終わりはない。
でもディレクションには終わりがあるし、決めなければいけない。自分で決めるのは尚更ジャッジへの概念が問われていく。そういう部分も含めた他のボーカルレコーディングを見られる機会はそう無いので、非常に面白く興味深い会であった。人の声はとても奥深く、豊かだ。

総じて言おう。みんな違うけど、みんな正解。


〈追記〉
ちなみに私は今回あえて尖らず鋭利さを抑えた発音を意識して歌っていて、子音にウィスパー感を増やしてみたり、ビブラートを少なくしてみたり、地声とミックスの間を使ってみたりと色々。昔からやさしい属性に一度片足踏み入れてみたい欲がありましたので、それがもし叶っていたらひとつ、私が求めた正解がそこに在ります。


最後までお読み頂いた貴方さまへ。      お時間いただき感謝します。

このレポートと共に「白い恋人達」を何度でも聴いていただけると嬉しいです。

是非こちらから!
https://youtu.be/D4C7Fkvmgcg

そしてvocal陣たちよ、分析させてくれてありがとう。歌声も、その過程も、オリジナリティ溢れるメンバーでした。

できるならまた分析させてくれるとありがたい。

これからもそれぞれのステージで。

心のままに歌っていよう。

紫衣

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