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お酒が必要

働き始める時に心に決めたことがある。

お酒は好きじゃないというキャラになることだ。

お酒はカッコ悪い

社会人になる時、社会人とお酒(とお酒がある場)の関係性についてこんなイメージがあった。

・聞きたくもない愚痴を聞かされる場
・ひたすらに気を遣う場
・過度にプライベートに侵入してくる聞かされる場
・仕事の生産性を下げる存在
・お酒に飲まれる人は自己管理できていない

人並みよりはお酒が好きだと思う。お酒を提供する店でバイトをしていたし、月イチくらいで友達を集めて自分がおつまみを山ほど作りワインをしこたま飲む会を開いていたりもした。好きなワインの産地に海外旅行で行ったりもした。それくらいにはお酒が好きだった。

だが、何となくはびこるお酒/お酒がある場所のカッコ悪さを感じて、お酒を避けるようになった。

令和時代に生きる我々若い世代の美徳、清潔に対する意識は大きく向上した。
欲望を制御できていないと見なされることは忌避され、理性的に振舞うことが要請される。
ウエットな人付き合いは避けられ、ドライな関係が望まれる。
面倒ことに巻き込まれないようにする。
人に迷惑をかける酔っ払いにはなってはならない。
めんどくさい酒の場から離れるべきだ。

そんなどこから聞こえるか分からない声を聴き、お酒から離れないとなと思うようになった。

お酒をカッコ悪いモノと思うようになっていた。

お酒はカッコいい/悪いじゃない

(ここまで、#また乾杯しよう とは思えないくらいにお酒を下げてしまっている。ここから上げていきます。)

お酒をカッコ悪いモノと思うように"なってしまった"。

"なってしまった"ということは、カッコいいと思っていた時があるということだ。

そもそもお酒のカッコいいところって何だろうと考え直してみる。

ハタチになる前や、なった直後に感じていた初期衝動的な"お酒カッコいい"は例えば、

オーセンティックなバーで、言葉少なに注文して、飲み終わるとすぐに退店する。
フレンチレストランでワインリストからスマートに注文する。
嫌味にならない程度のちょうどいいお酒の博識さ。
(イメージはロマンスグレーのダンディなおじさん。)

こんな感じだ。今も確かにカッコいいなと思う。こんな感じにはなれないけど、なれたらいいだろうなぁという気持ちもある。

けど、ふと立ち止まる。
僕がしみじみお酒っていいなぁと思ったのはこういうカッコよさじゃない。

実際にお酒っていいなって思ったのは例えば、

言葉にできないが美味いと思ったとき。
あ、この人ほんとはこういうことを思っているんだと知れたとき。
酔いにまぁせて、ポロっと本音が出て、距離が縮まるとき。
なんか分からないけど、今日知った人が一杯おごってくれる時。
この食べ物とお酒めっちゃ合うなぁとか、この香りってあの香りと近いなと人と共有できた時。

そういう感覚的な良さや、人間味に触れたり、共有できた時。
カッコよさじゃなくて、そういうのがお酒の良さだと気づいた。

お酒の価値はカッコよさ/悪さの評価軸で判断されるものではない。

まぁそんなこんなで、お酒のカッコ悪さは脇に置いて、よさを受け取っていけばいいなと思うようになった。

結局、お酒嫌いキャラを確立することはできなかった。ちょっとのつもりでお酒を飲めば、ぽろぽろと素が零れ落ちた。

それでよかったと思う。

乾杯したい

今年から職場で後輩ができた。

仕事はオンライン化が進んでいるし、たまに出社したとしても出社日にやらなければいけないことがまぁまぁ詰まっていて時間が取れないし、昼食中も私語禁止のお達しがでていることもあり、業務上の必要な話しかできない。そもそも、僕は人との距離を感じるタイプだし、なかなか気軽に話ができない。

そんな自分を助けてくれるのは今のところお酒以外にない。

お酒の良さが必要だ。

その力を借りて話をしたいなぁ。

彼は何が好きなんだろうか?何が嫌いなんだろうか?
彼は今の状況に対してどんな不満を持っているだろう?
逆に僕の不満も聞いてくれたりしないかなぁ。

(でも、カッコ悪くならないようために、ハラスメントにはならないように、飲みすぎないように気を付けて。)

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