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#4【ブログ】忘れられない先生

大体こういうのって前もってネタ考えておいて、
先に仕上げて投稿予定で設定しておいたりするんだろうなと思いつつ、
結局毎回当日になってから思いついた内容で書いてます。

どうも、しべはすです。笑

あ、もちろん当日何も浮かばないと、自分で決めた
「noteは火曜・金曜に更新」
という目標くらい守りたいと結構のたうちまわってます。
(そうでもない)



そう、困った時はだいたい今どんなお題があるのか見に行って、
その中でピンときたものから書くのですが、
目が離せなくなったお題がありました。



#忘れられない先生



私は割と大人に相手にされないような子どもでした。

天才だったとか優秀だったとかそういう意味ではなく、
割と早い段階で
「手に負えない」感
「触れたくない」感
を出されたと感じることが多かったように思います。
明らかにシカトされたとかそういうことはないですが。


まぁ実際言うことなんて聞かないですからね、基本。笑
おまけに気性は荒めだったときたらそりゃ遠くに置いときたいわ。笑


今となってはというか、
高校時代気がおける友人たちによく言われていたことは

「なんで怒んないの」
「もっと怒ったほうがいいよ」

友人たち曰く、
どんなイジリされても何言われてもただ笑って合わせてたとか。
実際、私のことなのに友人がご立腹してるとかようありました。笑
(ほんとすげーーーいいやつ。)

ある友人には最近になって、
「でも少しでも逃げれる瞬間があったり、
別クラスのうちらがいる時とかと絶対そっちの方行かないから、
無意識に嫌なんだろうなというのは思ってたよ」と。


早く言ってよ。笑


反面、中学時代途中まではこれと正反対なくらい気性が荒かった荒かった。

どれくらいかというとレンジに入れられた卵くらい。

あれ、大体こういうのって気象に例えるんだっけ。
まぁいいや。
(よくない)


特に入学して一年二年くらいは、常に誰かにキレてました。
気象が荒いと言っても、
争いたいわけではないから自分から仕掛けたりしないし、
力比べみたいのは好きじゃなかった。
何か煽られたり、どうしても許せないことがあると爆発してました。
(頻度は最低でも一日一バトル。あれ、習慣化は完璧ね(?)。)

で、しかも女子らしく言葉でバトってればいいものを、
私は口喧嘩ができないタイプでした。
おまけに体格もその時期の子供の平均にしては大きく、力もあった。
かつ家では「喧嘩するなら外でやってこい」タイプの教育でしたので、
はい、だいたい取っ組み合い。笑

煽られてはブチギレ、廊下を追っかけ回して捕まえてはヘッドロックかけ、
その間に男の先生複数人到着していて剥がされる。
これの繰り返し。笑

殴ったりしたほうが早かったんでしょうが、
その時曲がりなりにも空手やっててかつ
「外で喧嘩するな」と道場の師匠に言われていたので、
突きや蹴りは繰り出せず。
(いや自分で追っかけて手を出してる時点で大目玉ものです。
でも、一応短気な私なりの線引きでした)




入学して、こんな感じを繰り返してしばらくしたある日、
私の中で最大に爆発した日がありました。

いつものように吹っ掛けられてキレた私は廊下を走って相手を追いかけ、
追いついたところで学生服の襟首の固いやつを掴み、
そのまま首から床に叩き落としました。

そしてまたいつものようにヘッドロックかけ締め上げているところに
男の先生たち登場。
引き剥がすだなんだしているところで、次の授業のチャイムが鳴りました。

そこには学年主任がいました。
「次体育でこのクラス誰もいないから、俺と話そう。
次の授業受けなくていいし、無理だろ。」
そう言って、誰もいない教室の鍵を開け、学年主任と二人で入りました。

椅子を一つ出されて座るよう促され、
イライラして動かない私を見て学年主任が口を開きました。


「気が治るまでここの中なら暴れていいぞ。
机も椅子も、みんなの荷物も、
みんな戻ってくるまでに俺が元通りなおしとくから、気が済むまでやれ。」



私はただ、
下を向いたまま声も出さず、
声にもならない声で泣きじゃくったのを覚えています。

このあと何か話したのか、いやそうでもない気もしますが、
とにかく
「わかってもらえた」
という安心感がすごかったのは覚えています。


何か起きても、説明を求められても言葉で説明できなかった私は
いつも悔しい思いをしました。
大体、こういうのは説明したもん勝ち。
そして私はだいたい手を出してるので、十中八九私の非が重い。
(そらそうなんだけれども)

かといってじゃあこういう事態を回避しようにも、
当時13歳前後の私にはどうしたらいいかわからず、
争いなんか好きじゃないのにキレてるしかない自分が
嫌で嫌でたまらなかった。

おまけに、
大人なんかわかっちゃくれないと、
助けを求める相手じゃないと
脳にだいぶすりこまれてた(経験で勝手に結論づけてた)。


そんな当時の私の中のものを、
一瞬で全部取っ払ってくれた当時の学年主任は、
私にとってヒーローでした。

実際、学年内でいじめやその他くだらないことが起きると、
学年集会を爆速で開いて必ずアナウンスするような先生だったし、
首謀者等が判明したら誰かれかまわずいかんことはいかんと叱り、
男子に限っては学生服掴み上げてでもど叱るような先生だったので、
学年内では埋もれてしまうような声なき者たちにとって、
本当にヒーローだったと思います。


とにかく、一人一人に本当に真正面から向き合ってぶつかる先生でした。


#忘れられない先生
を見たときに、一番に浮かび鮮明に思い出されたのは
この学年主任の先生でした。



他にも、特にお世話になった先生や真正面に向き合ってくれた先生は
何人かいます。
いろいろ学んだりニュースを見ていると、
それでも私は本当に人に恵まれてきた方だと思います。

というより、それに気づけるようになったことが本当に大きかった。


もちろんマジで一人で、孤独な人もいると思う。
でもそういう人には、一つだけ伝えたいことがあって、

いないと思ったら自分が腐る前に他を探してください。
まだ出会ってないだけで、絶対あなたのことわかってくれる人は、
同じ時間を生きてる中で絶対にどこかにいる。
すでに自分の見えてる中にもしかしたら
理解してくれて本気で向き合ってくれてる人はいるかもしれないけど、
でもそれを考えるのは余裕ができてからで良いと思う。
それからさらに余裕があるなら、
「人に恵まれるような自分」に変わっていけば良いと思う。
「理解してくれて本気で向き合ってくれるような人」は、
これくらい、死ぬまでなら首を長くして待ってくれる。


私は、そう思います。


2021.12.7.  しべはす 


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