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議論を豊かにする賢い問題設定方法 ドゥルーズの『ベルクソニズム』より
目次
はじめに
ドゥルーズの『ベルクソニズム』について
「偽の問題」って具体的になに?
①実在しない問題
②巧く設定されていない問題
改めて、古典・文学は意味がない問題へ
結論
はじめに
昨今、古典・文学の授業は意味がないからやめて、もっと役立つ情報系スキルや英語学習をさせろ、といった論者が一部います。
それに対して、人文系業界の方は、反論を示すわけですが、その反論の仕方には色々あります。
今回の投稿では、ドゥルーズの『ベルクソニズム』という本からヒントを得て、この問題に迫っていきたいと思います。
ドゥルーズの『ベルクソニズム』について
なので一旦、こちらの本の紹介と今回取り扱う内容の部分を説明させてください。
この本は、ジル・ドゥルーズという哲学者の本で、彼より少し前の時代に生きたアンリ・ベルクソンという人の哲学について書かれている内容のものです。
その序盤で、「真の問題」と「偽の問題」という事柄について触れられているのですが、これについて少し話していきます。
「真」と「偽」、或いは、「〇」と「×」と言い直してもいいのですが、これらの記号が関わるものというのは、基本的に問題に対する答えに関してとされています。
1+1=2なら、「真」「〇」です。
1+1=3なら、「偽」「×」なわけです。
しかし、ドゥルーズとベルクソンに言わせると、「真と偽」は問題の答えだけでなく、そもそも「問題そのもの」にも向けられるものだと主張しています。
つまり、ちゃんとできてる問題設定(真の問題)と、できていない問題設定(偽の問題)があるんだよ、というわけです。
この事実から、彼らは「真なる問題の創造」をないがしろにするな、という主張をします。
真の自由は、問題そのものを構成し、それを規定する力のなかにある。(略)問題を設定することはたんに発見することではない。それは発明することである。
「発見」というものは、既に実在しているが隠されていたものを見つけた時に使われる言葉で、遅かれ早かれ現れるものです。
しかし、「発明」は、実在していなかったものを実在させる力のことであり、「発見」とはその性質が異なります。
これらのことから、「真なる問題の発見(創造)」を重きを置くわけですが、一つ注意点です。
「問題そのもの」が非常に大切だと言う点は、ここまで読んでいて分かります。しかし、「問題に対する答え」はどうでもいいと主張しているわけじゃないです。
あくまでも両方大切にしている状態を目指せと言うのが本書で言いたいことの一つです。
「偽の問題」って具体的になに?
では、ここから「偽の問題」とは具体的に何かという話をしていこうと思います。
偽の問題はとりあえず二つございます。
①実在しない問題②巧く設定されていない問題の二つです。
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