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市民に委ね、受け渡すデザイン

過去にヘルシンキでのゲームを使った市民参加の取り組みや、ニューヨーク市の児童サービス課と子育て世代の取り組みなど、いくつかの市民が政策やまちづくりに関わっていく事例を紹介しました。

本マガジンを読んでくださっている方は「市民参加」と聞くとなんとなく好ましいもの、できるといいものと感じてしまうのではないでしょうか。少なくとも私はこうした感覚を持っており、市民が政策づくりに関与する事例についつい注目してしまいます。

しかし、具体的に市民参加の効用はどんなもので、なぜ必要なのか。あるいはそれぞれの事例はどのような目的で行われているのかというと、かなりバラバラではないかと思ったのです。今回はそうしたデザインを市民に委ね、受け渡していく取り組みについて考えていこうと思います。

民主主義の理念としての市民参加

社会をかたちづくる「当事者」の感覚が、社会的な想像力を育む
なんとなく重要そうな市民の参加ですが、どうして重要なのでしょうか。政治学者の宇野重規さんはポピュリズム、技術革新、コロナなどの危機や変化に対して、私たちに必要な信念の一つとして「参加を通しての当事者意識」を挙げています。

私たちは、自分と関わりのないことには、いくら強制されても力を出せません。これはまさに自分のなすべき仕事だ、自分たちにとってきわめて大切な事柄だと思えてはじめて、主体的に考え、自ら行動する動機が生じます。逆に自分に深く関わることに対して無力であり、影響を及ぼすことができないという感覚ほど、人を苛むものはありません。私たちは身の回りのことから、環境問題など人類全体の問題にまで、生き生きした当事者意識をもちたいと願っています。民主主義とは、そのためにあるのです。(宇野重規『民主主義とは何か』)

民主主義における参加というと選挙や投票が真っ先に思い浮かびますが、それらに対する当事者意識が重要と語ります。もちろん票を投じることへの当事者意識も重要なのですが、それが育まれにくいのは選挙期間以外での社会に対する手触り感とも無関係ではないはずです。

個人的には自分の自治体で市民参加の取り組みを行っていると「市民=自分たちが社会づくりにおける当事者として尊重されている、嬉しい」といった感情を抱きます。よく考えたら民主主義の理念としては当然といえば当然のことなのですが、現状自分自身も無意識に「社会や行政というものは自分たちを尊重してくれていない」という感覚を持ってしまっていることに気づくのです。

社会や地球環境、政治への意識を持とうというのは理屈でいうと簡単なのですが、そもそも自分が社会に対してリアルな手触りを持てることをデザインしていく取り組みが、啓蒙や教育的な取り組みと並行して必要になっていくのではないでしょうか。

どんな参加のデザインが当事者性を育むのか

参加というと選挙はもちろん、地域のゴミ拾いなどの活動に参加すること、行政のアンケートに答えることなども参加としてとらえられると思います。上記の参加も大切なものですが、より当事者性が育まれる参加のかたちはどんなものでしょうか。

書籍『コ・デザイン』のなかで上平崇仁さんはデザインのアプローチの方向性を「for User(ユーザー中心デザイン)」「with People(コ・デザイン / 当事者と(共に)デザイン)」「by Ourselves(当事者によるデザイン)」という分類で整理しています。

アンケート調査などへの参加は「for User」にあたり、あくままでも実行主体は行政府となります。そうなると残り2つの「with People」「by Ourselves」と、後者になるほどに民主主義的であり、より当事者性を育みやすいものといえるのではないでしょうか。

「市民参加」という言葉はユーザー中心設計に近いかたちで、市民のニーズを汲み取り適切なサービスを提供するための取り組みとしても使用されることもありますが、そうした形式的な参加の取り組みではなく、市民<と共に/による>社会づくりといえる事例をみていこうと思います。

市民が財政について意思決定できる、参加型予算| ポルト・アレグレ(ブラジル )

市民が予算決めに関わる「参加型予算」の取り組みは、ブラジル・ポルトアレグレで考案されました。1989年、民主社会主義の考えに従い、新しく選出された労働者党は意思決定プロセスを逆転させ、市民が都市の予算の一部をどのように使うかを決定しました。

プロセスとしては、全市民が参加できる地区ごとの議会にて、予算の優先順位の議論を行うと共に代議員を選出する。そして、地区代表者による代議員総会において予算案をまとめ、最終的に市議会で予算を決定する、といった流れです。

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実際の議会の様子(World Research Instituteより)

過去の記事でも多数決の問題を指摘してきましたが、参加型予算の取り組みは多数の論理から、優先度が下がってしまうマイノリティや貧困層の人々も、どのプロジェクトに予算を割き、実行していくべきかについて発言権を与えられたのです。

参加型予算により、都市サービスのより公平な予算分配が行われるようになりました。1997年までに、下水道と水道の接続は75%から98%に増加。健康と教育の予算は13%から約40%に増加し、学校の数は4倍になりました。貧しい地域の道路建設は5倍に増加しました。

この事例はポルト・アレグレを起点に世界中に広がり、パリでは2014年から2020年までの「投資予算」の5%(7年間で約5億ユーロ)の使途を市民による提案と投票で決定するなど、予算の規模もかなり大きくなっている事例も出ています。日本でも三重県がみんつく予算として取り組みを開始するなど、事例が出てきています。

私たちはつい普段行政のサービスについて「もっとこうだったらいいのに」「なんでこうやって改善しないんだろう」と思ってしまいますが、こうした財政という、会社でいう経営部分に関われるとしたら「サービスの受け手としての意見」ではなく「サービスを自分たちが作るとしたらどういう分配をするか?」という視点を持ちやすいのではないかと感じます。公平な資金の分配というメリットだけではなく、よりリアルにまちや社会についての想像力が育まれる取り組みだと思いました。

病院のサービスを患者自身でつくる、公的機関のCoDesign | イギリス

予算組などの行政に対する参加のかたちもあれば、英国・Nestaのプロジェクトでは病院という公的機関の計画作りにも市民と共につくられています。

その名も「People Powered Health」。このプロジェクトの理念は「健康・福祉サービスみんなで所有する権利を持つこと」です。「医療機関を専門家は、必ずしも正しい答えを知っているとは限らない」という立場で、患者自らがサービスをつくっていこうという取り組みです。

このプロジェクトでは市民参加型の医療システムのリデザインを目的とし、「サービスの設計」「提供」「使用」「評価」のすべての段階での関与をすることを前提に行われました。例えば空間や、料理の配膳、患者との関係づくり、など病院で行われる一連のフローを、病院職員やファシリテーターとともに設計していく取り組みでした。

実際に行われた結果、患者自身に以下のような変化が現れたといいます。

患者自身がケア計画、経路計画、および福祉計画を行うことにより、患者自身のゴールやビジョンが明確になり、それらを満たすサービスを受けられるようになった。

公共サービスの改善という目的だけではなく、サービスの受け手ではなく計画する立場に回ることで、自身の想いやゴールが明確になるというのは思わぬ副産物ではないでしょうか。目に見えるサービス満足度だけではなく、自らがつくりてにまわることで、今までは考えつかなかった自分が実現したかったかたちを思い描くことができるようになる。私たちの生活や仕事でもこうした場面はあると思います。

空き地の使い道を住民自らが考える、参加型都市計画 |モントリオール(カナダ)

モントリオールで行われた空き地の使い道を考えるプロジェクトも、行政が市民にデザインを委ねる事例として紹介したいと思います。

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プロジェクト前の空き地の様子(Lande)

背景として、この空き地は数十年間空いたままで、廃棄物の堆積物として使用されていました。評価額に見合った所有者が現れなかったため、市は2017年に収用を進め、土地はその後自治区に戻りました。

そこで参加型都市計画チームの「Lande」とモントリオール都市生態学センターが協力し、その周辺に住む市民と共同で使い道を考えていくプロジェクトを開始しました。この市民参加型プロジェクトは、住民に空きスペースや公共の場所を緑化する機会を提供し、自治区はそれを実現するためにアイデアごとに最大10,000ドルが支給される条件で行われました。

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住民によってリデザインされたパブリックスペース

実際に住民によって設計が行われた結果、多目的スペースとして生まれ変わったのですが、実施されたものとしては下記のようなものがありました。

美化・緑化:スペースの清掃とメンテナンス、植木、家具の建設
お祭り・イベント:ピクニック、屋台、子供の遊び場
ワークショップ:ヨガ、発酵、マイクロシュート

上記の内容をみても、住民に設計やコンテンツ設計を任せてみることは、自然と自治体がトップダウンで「必要」と判断したものとは直感的に違う成果物となっているような気がします。どちらがよい悪いではないのですが、その地域の住民が自分たちのために設計したのであれば、「便利」「質が高い」かはともかく自分たちで決めたこととして受け入れ、楽しめるのではないかと思います。

私たちはお互いの強みを確認し、ご近所住民の全体が参加することができました。マネジメントが上手だった人もいれば、より実務が得意だった人もいます。人と人とのつながりを形成することで、私たちの力を拡大することができました。

また、参加者のひとりはこのプロジェクトに対して上記のような言葉を残しています。私たちは普段仕事や家事・育児などで能力を発揮することが多いかもしれませんが、機会がないだけでまちに対して転換できることも多いのかもしれません。

おわりに

今回はサービスの受け手に回ってしまうことも多い市民や住民の側がつくりてにまわり、より公平な予算分配、サービス改善になることはもとより、そのプロセスでまちの当事者として関わっていくことの示唆に富む事例を紹介しました。

こうして調べていくと、私の場合ですが、行政や公的機関の提供するサービスを受け手としてしか体験しておらず、つくりてになった経験が本当にないな...ということに気付きます。そして周りの友人などと話していると、このように感じる方も多いのではないかと思います。

個人的にはそういった受けての目線だけでの状態で出せるアイディアや政治的な意思決定よりも、つくりてにまわったことのある分野での意思決定の方が解像度が高い感覚があります。市民としてこうした取り組みを見つけて参加していくことも大事だなと思いました。

また行政や公的機関の方の場合、「市民参加」というとすぐにサービスの改善につながらない、効果が未知数、建設的なかたちになるかわからない、など躊躇いを持ってしまう場合もあると思います。

しかし目に見えるサービス改善ももちろん大事なのですが、市民の主体性を育み、委ねてみることで得られるものもあるのではないか?ということが、今回の記事で少しでも参考になれば幸いです。今回は以下の問いで終ろうと思います。

・普段、市民として主体的に参加しているといえる取り組みはありますか?
・どんな取り組み・分野でつくりてにまわってみたいでしょうか。自分の地域でできることはないでしょうか?

今回のように行政×デザインの話題についてもし興味をもっていただけたら、本マガジンのフォローをお願いします。また、このような市民の参加のかたち、その他なにかご一緒に模索していきたい行政・自治体関係者の方がいらっしゃいましたら、お気軽にTwitterDMまたは下記ホームページからご連絡ください。

Reference

・宇野重規『民主主義とはなにか
・上平崇仁『コ・デザイン
・World Research Institute - What if Citizens Set City Budgets? An Experiment That Captivated the World—Participatory Budgeting—Might Be Abandoned in its Birthplace
・財務省 - 三重県庁の参加型予算「みんつく予算」の取組について 
・Apolitical - It’s time to create models of democracy fit for the technological age
・Nesta - HELTH FOR PEOPLE BY PEOPLE
・LANDE - Les dents creuses, urbanisme et budget participatifs 
・LANDE - LABORATOIRE D’ACTION ÉCOCITOYENNE

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