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近世における長崎と大分の人・モノ・情報 市民と郷土史家について

以前に行った、長崎と大分の交流講座が印象的だったのでメモを。

「大分・長崎交流講座 ヨーロッパとアジアの風がふくところ 長崎をささえる大分との回路-近世の人・物・情報の交流-」

発表者は、長崎大学多文化社会学部教授の木村直樹さん。内容まとめを以下に、


1. 前近代(明治以前)の地域研究の課題として

〈地域を周辺から外から考える〉
…人が生きていくためには、現代以上に、コミュニティの存在(共同体に属すること)が不可欠。現代ほど人の移動は広範ではなく、地域の中で一生を終える場合が多い(商いや、旅行、参勤交代など地域の外へ出るのは限定的)
…過去に生きた人々や社会に着目し、その地域を研究することは、現代に残る地域ごとの独自文化への影響を見出すことにつながる
…しかし、各地域をみていくと、かならずしも、その地域のみで、人・物・情報の動きは完結できない。地域の特性は、外からの影響によって形作られる側面もある。地域を知るためには、関係する地域とのつながりを考える視点も必要

2. 近世における、長崎と大分の比較

〈類似点〉
①都市的要素の幕領をかかえている(長崎奉行所、天領日田)
②小中規模の藩があり、各地域ごとに独自の文化を形成している
③戦国末期からのキリスト教の普及が地下水脈のように残っている
④平野が少ない 〈相違点〉
①対外的「窓口」=
長崎:出島・対馬の維持
豊後:大友領国の解体により唐船や南蛮船の来航困難になる
②藩の統治形態=
豊前・豊後:本州から「織豊型」大名の進出が主体
長崎:旧属居付型が多い

3. 16世紀末以降の長崎と大分のつながり

【16世紀末】=キリスト教の重点の変化
・豊後から長崎へ 旧大友家臣が長崎へ移籍
【17世期】=キリシタン禁制
・島原の乱・個別の摘発
・沿岸警備体制の強化(大砲の扱いに卓越していた旧大友家臣) 
【18世紀】=物流の拠点のつながり
・天領日田⇄長崎奉行所
・島原⇆島原藩豊後領
・出島・対馬⇆豊後⇆大阪⇆江戸の海上流通網
※日本列島の人口安定化と流通網の整備
【19世紀】=人と物の交流により蘭学の発展が盛んに
・オランダの最新科学・奥平昌高・賀来兄弟など
⇆中津の福沢諭吉・日田の咸宜園・日出の帆足万里など⇆江戸大阪の蘭学塾


質疑応答と、関係ない所感

質疑応答の時に、地元のご婦人から「佐伯文庫との関連はいかがでしょうか」という質問が。佐伯文庫は、18世紀の佐伯藩の藩主である毛利高標が集めた図書で、漢学や蘭学など当時の日本でも屈指の蔵書があった。そこにも物や情報の交流があったはず。岡藩にも、優れた学問の蓄積があった。

それに対し、木村さんは「仰るとおり、それは今後の研究課題として」とお返事。その後も、様々な方々が専門的な質問を繰り広げていて(僕の知識ではとても追いつけない…)、こんな活発な講演会は久しぶりだなと、感慨深かった。

というか、質問していた方々が、市井の市民であり、且つ、おそらく地元の郷土史家の方々で、知識も視点も素晴らしかった。なんだかんだそこが一番印象に残っている。

僕が子どものころ図書館に行くと、昔の資料とか古文書を広げて虫眼鏡でずーっと見てる人がいて、この人何やってるんだろと不思議に思っていたのだけど。
今では、こういった方々をおみかけするたびに、すごいなぁ、幾つになっても学び探究することはできるんだなぁと、なんだか勇気づけられてる。

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