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加害と被害のあわい 船尾修『フィリピン残留日本人』

船尾修『フィリピン残留日本人』。
戦前にフィリピンへ移民した日本人の子どもたちのポートレート。


子ども、といっても、彼らはもう70歳をゆうに越えている。撮影されたのは2009年から2014年。現代のことだ。 戦前のフィリピンはアメリカの植民地で、仕事を求めにたくさんの日本人がこの地にやってきた。
その移民の多くが男性で、仕事をしながら、フィリピンの女性と結婚し子どもを産んだ。


真珠湾を日本が攻撃して、すぐにフィリピンにも侵攻し一度はアメリカを追い出すも、数年後にこの地は再び戦場となる。
日本人移民と日本兵は、アメリカ人からみたら区別がつかない。日本人移民は、だから逃げ出すしかなかった。その多くは殺され、もしくは日本へ強制送還された。

残されたのは、フィリピン人の妻とその子どもたち。
子どもたちは、日本人の血を引いており、見た目も日本人だ。黄色い肌。


戦後のフィリピンでは反日感情が高まっていて(この地での争いで一番死者を出したのは、何の関係もないフィリピン人だった)、日本人の見た目をしている彼らに辛くあたった。見たこともない国のアイデンティティに敵意を向けられ、戸惑いながらも抵抗することは難しかった。

写真家の船尾さんは、フィリピンの棚田の撮影に来ていた際、「あたしは日本人なんか大嫌いよ!」と叫ぶフィリピン人に呼び止められた。
そこから、この一連の歴史を知っていくことになる。
今のうちに、残留日本人の(父親が日本人の場合、日本国籍を所有しているの)彼らに話を聞いて記録に残されなければ、無かったことになってしまう。その後、船尾さんは数年間フィリピンへ通い続けることになった。

写真を観て船尾さんの文章を読んで、しばし茫然となる。馴染みのある顔立ちが、南国の風景のなかに馴染んでいる。
加害と被害の区分けはここではもう意味を為さない。誰が一番悪いのか?という問いも、リアリティを欠いてしまう(もちろん、最も深刻な被害を受けたのはフィリピンの人たちなのだけど)。そして、彼らの子孫は今もフィリピンに生きている。

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