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海のまちに暮らす vol.2|水平線の見える家

↑〈前回までのあらすじ〉
大学を休学して東京を出ることにした僕は、ひょんなきっかけから真鶴という町の存在を知る。真鶴の青い海は僕に、生まれの地である高知の海を思い出させるのだった。

 真鶴にはその後何度か行った。行くたびに海は青く、青さを見るたびに目が覚めるような心地がした。2、3回訪れたあたりから、もうこの町に住んでしまおうという気になって、僕は物件を探しはじめた。

 町内を歩き回って疲れて、喫茶店に入る。ジャズがかかっている。奥の方でタバコの煙が朦々と上がる。僕はタバコはやらない。でも僕の周りにいる知り合いたちは面白いくらい、きまってみんなタバコを吸う。みんながもくもく喫煙しているなかで、いつも僕だけがただ立っている。持っていたペットボトルのお茶を飲む。口のなかが緑茶の味になる。鼻の穴からウィンストンの紫煙が流れ込む。口と鼻、同時に別々の香りがやってくる。だからヘンな新種のお茶を飲んでいるような気分になる。でもそこまで嫌な気分ではない。なぜだろう。お茶はタバコに合うのかもしれない。コーヒーだってタバコに合いそうだし、古めかしい純喫茶にはだいたい灰皿があるし。何の話をしていたんだっけ。

 つまり、タバコの吸える喫茶店は良い店であることが多い。寛容な古き良き店。キノコのスパゲティにブレンドコーヒーをつけてもらう。先の予定を立てようと思って手帳を開いてぼうっとする。窓の外に不動産の看板が見える。向かいに不動産があったのだ。さっきは全然気がつかなかった。時計は午後2時をまわっている。

「戸建ての平屋はなかなかないのよねー」
 不動産のおばさんは目を細めて分厚い帳簿をパラパラめくる。ワニみたいな色の眼鏡を見つめながら、僕は話を聞いている。こういう時どのあたりを見て話を聞いたらいいか、よくわからないから、いちばん目立つところを見ることにしている。おばさんはさばさばしている。さばさばしていると相談とかしやすい感じがする。話し方って意外と個性が出るなと思う。自分の話し方って自分でうまく確認ができない。ずっと前にスピーチの練習か何かで、自分の声をスマホで録音してみたことがあるけど、自分の声じゃないみたいに聞こえる。スマホの中に自分の全然知らない人がいて、その人が僕が話すのと同じ内容の原稿を受け取って、似せてしゃべっているんじゃないかと思う。話の内容やリズムは全く同じだけど、何か決定的なところが絶妙に違う感じがする。おばさんはいくつかの空き物件の紙を見せてくれた。
「アパートならあるけど」

 この辺りは都内からのアクセスもよく、最近は別荘地エリアとして人気が出ているらしい。物件もすぐ埋まってしまうのだそうだ。だけど町の条例でところかまわず家を建てるのは禁止されているから、目当ての家を探すのはけっこう難しい。良い物件はすぐに埋まってしまうだろうし、希望物件との出会いは縁とタイミングでしかないのかもしれない。せっかく住むなら平屋の戸建てが良かったから、僕はまた出直すことにした。おばさんに礼を言い、いい家が空いたら教えてもらうことにした。夕日の沈む水平線を見ながら電車で帰る。そういえば日が沈んだ後のこの町をまだ知らないなと思う。

 年が明けた。実家のTVでNHKの「ゆく年くる年」が流れる。真夜中の浅草寺に群がる人の波を観ながら、今年は忙しい年になりそうだと思った。僕はまだ東京でアルバイトをしていたから、当面の任務は仕事をしつつ、真鶴町に関するいろいろな情報を集めることだった。ときどき電車に揺られて真鶴を訪れた。まだ寒い季節だった。春先の若葉生い茂る景色を想像しながら、坂の多い真鶴をあてもなく歩き回った。そして1月の下旬に、目当ての家を見つけた。

 家は高台にある平屋だった。部屋の広さも東京の6畳間の4倍くらいある。和室の障子をガラガラと開け放つ。海からの風が家の中を通り抜ける。畳の匂いがする。高架線の上をときどき貨物列車が音を立てて通る。裏の小高い丘には畑がある。大家さんが耕しているらしい。僕は前から農業をやってみたかった。真鶴で農業ができるかはまだわからないけれど、近くに農作をやっている人がいるのはありがたかった。ミカンの木も植えてあった。そして何より、部屋の窓からは真鶴の青い海が見えた。小さな家々の屋根の連なり。その向こう側に水平線が覗いている。海の見える高台の平屋。僕はもうすっかりその家が気に入ってしまった。

 僕はもうその家のことで頭がいっぱいになってしまっていたから、残りの物件へ内覧に向かう車中で、既に部屋のあれこれに思いを巡らせはじめていた。テーブルはあそこにしよう。冷蔵庫はこの向きで置いて、寝室の照明はこんな感じにしよう、とか。不動産のおじさんは白いカローラを運転しながら、湯河原に昔キムタクの建てたマンションがあると言い、道中やたらキムタクの話をした。その日のうちに僕はあの高台の平屋に住むことを決めた。

 大学を休学して地方に移住するということの経緯や目的を、不動産相手に説明するのが難しかった。向こうは僕がその広い家で一体何をするのか不思議そうだったし、僕も詳細な説明をすすんですることはなかった。というか具体的に何をやるとかまだあんまり決めていない。ひとまずは、ただ暮らすのだ。洗濯炊事をし、布団をたたみ、風呂を沸かして寝起きするという暮らしをする。その合間に絵や原稿を書いたりするかもしれない。でも「生活をします」とただ伝えるのもヘンなので、とりあえず「大学で芸術を学んでいます」という曖昧蒙古なことを伝えて、あまり部屋は汚さないこと、タバコもやらないことを付け加えた。不動産のおじさんは僕が部屋中に絵具をぶちまけて絵を描く類の画家か何かだと想像していたのか、それを聞いて少し安心したようだった。おじさんは、知り合いが鉛筆画の作家をやっている、たいそう細かい絵を描くと言い、僕としばらく鉛筆画の話をした。
「鉛筆で描いた絵はこすれて色が落ちてしまいませんか」と向こうが聞くので、フィキサチフという定着スプレーをかければ少しはマシになりますよ、と教えた。

 入居日は3月の中頃ということで決まった。入居のための引っ越しの費用と不動産に支払う初期費用がそれなりにかかるから、それまで貯めていたお金はすっかりなくなってしまうだろうと思う。今年は休学しているから大学の授業料はかからないけれど、休学中は月々の給付奨学金がもらえなくなる。東京でやっていたアルバイトは3月で辞める。作家として依頼される仕事は続けているけれど、どれも基本在宅の仕事だ。やっぱり習慣的に外へ出て、それなりに人にも会う仕事もしたい。そういうわけで、僕は真鶴でできるちょうどいい仕事を探すことにした。

 一刻も早く真鶴に住みたい気持ちを抑えて僕は電車に乗り、東京に戻らなければならなかった。そして、当分の間は目の前のやるべきことを静かに済ませてゆく日々が続くのだった。わずかな心残りは顔なじみの東京の野良猫に、もう会えなくなることだった。


vol.3につづく





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