映画評 動物界🇫🇷🇧🇪
人間がさまざまな動物に変異してしまう奇病が発生した近未来を描いたアニマライズスリラー。第49回セザール賞最多12部門ノミーネトされ5部門受賞。
原因不明の突然変異により、人間の身体が徐々に動物と化していく奇病が蔓延していた。“新生物”は凶暴性を持つため施設で隔離されており、フランソワ(ロマン・デュリス)の妻ラナもそのひとりだった。ある日、新生物たちの移送中に事故が起こり、彼らが野に放たれてしまう。フランソワと16歳の息子エミール(ポール・キルシェ)は行方不明となったラナを捜すが、次第にエミールの身体に変化が起こり始める。
人間から動物に変化を辿る映画としてまず連想させられたのは『第9地区』だ。謎の液体を浴びた人間が宇宙人に変貌を遂げる過程及び前段階で浮かび上がる差別や偏見による隔離や対処遇の悪さ。人種問題や格差を連想させられずにいられない。『動物界』も『第9地区』及び実社会を連想させられるシーンが多い。
コロナウイルが蔓延した現代においては『動物界』の方がより実社会に近いものがある。まずは動物に変異してしまう奇病が一般化し、治療法が確立してない設定。病気に罹ったものは隔離され偏見の目で見られる風潮。まさしく2020年以降の社会という、より差別や偏見が助長した年を連想させられる。
同時に多様性も一般社会に重要視され始めた年でもあると思っている。多種多様な背景を持つ人たちが混在することを当たり前にしていこうと社会として努力する一方で、均衡を保っていたバランスの崩壊や曖昧となった境界線をどのようにして受け入れるかが問題になる。その先には差別や偏見、分断は避けられない。
それでも本作は新生物を善、人間を悪のようには描かない。それはパンデミックを経験し一時的にも先行きが不安な人生を歩んできたからだ。謎の病気や危害を恐る人間の理屈も理解できなくはない(ただ1人を除いて)。エミールが終盤で見た世界は、両者が抱く共通の切実な願いなのではないだろうか。
現代的テーマを反映させ、いくつもの解釈が可能な社会派映画として、観客のイマジネーションを刺激しつつ、『グエムル -漢江の怪物-』のような引き裂かれた家族の絆を巡る家族映画としてエモーショナルの最高潮を見せてくれる。
本作はエミールが動物になる過程を恋愛や自分らしさ、持たされない意思決定、将来への不安、家族関係など思春期の葛藤が重なる形で描かれる。既に動物になった母親や父フランソワの現実を受け入れきれない表情、周囲の新生物への視線、特にエミールが強く抵抗していたこともあり、より哀れみが強くなる。
父フランソワ視点から見ると、より受け入れ難い現実に映る。母親だけならまだしも息子まで失うことが確定してしまう。森の中で、逃げ出した母親を車で探すシーンは、「父と子の時間がもう少しで終わろうとしている」楽しそうでもあり、寂しさも覚える。二度と会えなくなるわけではないのだが、次会える時には今と違った別の姿を受け入れられるのか、気持ちの整理は簡単にはつかない。
それでも子供の成長は逞しい。エミールは、これから動物になることを半ば抵抗しながらも変化を受け入れ、自分がどのように生きて行くべきか、肉体的な成長然り精神的な成長を見せる。
そして父フランソワも息子の変化を受け入れて行く。小津安二郎の『父ありき』から見出したというラストシーンでは「食べるな」と注意していたポテチを2人で食べ、警察からの追ってから息子を逃すシーンは嗚咽もの。子供の成長を受け入れ、広い世界へと巣立つ子を見守るように。