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映画評 四月になれば彼女は🇯🇵

(C)2024「四月になれば彼女は」製作委員会

川村元気による同名小説を、米津玄師『Lemon』など有名ミュージシャンのMVを手掛けた山田智和による長編映画初監督作品は、映画監督として厳しい船出となってしまった。

精神科医の藤代俊(佐藤健)のもとに、かつての恋人である伊予田春(森七菜)から手紙が届く。ボリビアのウユニ塩湖から出されたその手紙には、10年前の初恋の記憶がつづられていた。その後も春は、プラハやアイスランドなど世界各地から手紙を送ってくる。その一方で藤代は現在の恋人・坂本弥生(長澤まさみ)との結婚の準備を進めていたが、ある日突然、弥生は姿を消してしまう。春はなぜ手紙を送ってきたのか、そして弥生はどこへ消えたのか、ふたつの謎はやがてつながっていく。

本作が描こうとする愛は「愛し続けられるかどうか」つまり愛し続けることの難しさだ。藤代と弥生は結婚を控えている者同士とは思えないほど、会話もなければ、共同作業や性行為もしない。『エターナル・サンシャイン』や『ブルー・バレンタイン』のように、喧嘩に発展するほどの崩壊は無い。だが無言でも構わない、居心地が良いのか悪いのか、愛してるのか愛されているのかよく分からない曖昧な関係性は、長年寄り添うパートナーがいれば分かりみがあるだろう。

また、元彼女である伊予田との共通点は、両親が離婚していることだ。藤代は両親の離婚を「早く別れれば良かったのに」と若干呆れ気味に言い放ち、伊予田は「母が好きな人ができて出ていった」と告白する。愛することの持続性は難しいと理解していながらも、似た境遇同士で寄り添う2人の関係性は、愛が持続できるのではないかと微かな希望を見出そうとする。

序盤こそ弥生が失踪するフックやマクガフィンとして機能する伊予田からの手紙、恋愛描写と興味を持たせる掴みは素晴らしいのだが、掴み以上のものはなく、次第に退屈極まりない苦痛の時間を強いられることになる。

まず全編通じて、藤代が弥生のどこを好きになったのか理解に苦しむ。婚約直後に失踪するのも大概だが、聞かれてもないのにいきなり発する身の上話と「愛することは何か」の哲学的な問いしか会話の内容がない無益さ。その上、表情や雰囲気からはいつでも自傷しかねない危うさに包まれている。そのため藤代が真剣に探さないのも解放されて安堵してるからではないかと疑ってしまうほど。弥生が失踪するだけでも十分奇行だが、失踪先はホラー映画顔負けの奇行。完全にヒステリックでヤバい女が確定し、ヤバい女に振り回される藤代に同情を覚える。

本作が問いかける「愛を終わらせない方法」に対する答えが「愛することをサボらないこと」なのだが、ハッキリ言って説得力が薄い。というのも愛情が次第に冷めていく過程を描いておらず、愛し合っていた2人がいきなりすれ違いを起こすため『アイネクライネ ナハトムジーク』で三浦春馬と多部未華子による10年の同棲生活を描かなかったことで、なぜ関係性が冷めたのか伝わりにくくなり感情移入しにくい問題点を踏襲してしまっている。『花束みたいな恋をした』のように丁寧に描く必要はないが、『市民ケーン』の椅子が離れていくショットのように、短いシーンで愛が冷める過程と時の流れの残酷さを表すべきであろう。いずれにせよ中途半端だ。

(C)2024「四月になれば彼女は」製作委員会

もう一組のカップルである藤代と伊予田。写真サークルで仲睦まじい様子は見て惚れ惚れするが、別れた理由が非常にしょうもない。藤代が伊予田の父親に海外をまわる許可を得ようとするもの失敗し、当日強硬突破を試みるも伊予田の方から断られたことで恋愛関係は解消することになる。厳しいことを言えば、2人の愛はその程度ということだ。

藤代に手紙を出した動機である「藤代を愛していた頃の自分に出会うため」というのも、ナルシズムが全開で気持ち悪い。要は、藤代を好きなのではなく、藤代のことを愛していた自分が好きということだ。自己陶酔を見せられている観客の身になって欲しい。ちなみに、海外3つの場所を訪れているのだが、いずれも心を動かされるほどの迫力や感動は得られない。原作小説通り(インドは除く)に海外ロケをしただけの事務的に仕上げただけの見応えのない映像になってしまっている。

お話が面白くないのは脚本家のせいにできるが、佐藤健や長澤まさみといったスターがいて、海外の世界遺産や絶景もあって、間違いなく映える画になるにも関わらず、見るに耐えない画になっているのは監督の力量不足と断言せざるを得ない。

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