映画評 SONG OF EARTH/ソング・オブ・アース🇳🇴
ノルウェーの山岳地帯で大自然に囲まれて生きる老夫婦の姿を、娘であるドキュメンタリー作家のマルグレート・オリンがとらえたドキュメンタリー映画。
壮大なフィヨルドや力強く根付いた生い茂る草木など美しい大自然を誇るノルウェー西部の山岳地帯「オルデダーレン」。ドキュメンタリー作家で知られるマルグレート・オリン監督は、オルデダーレンに暮らす両親の姿をカメラに収める。美しくも厳しいノルウェーの大自然とシンプルで豊かに生きる両親の姿から、人生の意味や生きることの意味が映し出されていく。
オルデダーレンの景観を映画館の大スクリーンで観れるだけでも、本作を鑑賞する価値はある。「御伽話を聞かせて」「なら散歩に行こう」父と娘の会話から象徴されるように、山岳地帯を覆い尽くす氷河、氷河が溶けて出来た青く透き通った湖、草木や氷河が入り混じるフィヨルドなど、オルデダーレンには摩訶不思議な自然現象が一箇所に集約している奇跡のような場所だからだ。
また、氷河や湖を前にしたら人間の存在感はほぼ無に等しいと思えてしまうほど、スケールの規模が想像の遙か上を行く。特にドローンで撮影された絶景の数々に度肝を抜かれることだろう。日本では決して見ることができない壮大な景観に圧倒されると同時に、大自然を前にすると人の悩みは小さいものと思えてしまう。
「自然の中で暮らす」で真っ先に持たれるイメージとして、都会の疲れを癒すではないだろうか。都会では堪能できない自然に囲まれながらレジャー活動を行うのは、ゴミゴミした都会から離れ、人間本来いるべき場所を思い出す上でも良いかもしれない。
だが自然と隣り合わせの場所は長閑とは言い難い、自然特有の厳しさが待ち受ける。父ヨルゲンがフィヨルドや森の中をハイキングする隣では、いつ雪崩が起きてもおかしくない氷河がある。また、ハイキングコースが整備されているわけではなく、ほぼ自然のまま。一歩間違えれば大怪我や死が待ち受ける。
オルデダーレンの歴史を振り返るシーンで、多くの住民が雪崩に巻き込まれたり、雪崩によって起こった洪水で住処が崩壊したりと、多くの事故が起きている。災害からの人災ではなく、まさしく大自然に呑まれたと言える。壮大な自然風景の中で父ヨルゲンが一人佇むカットは、自然の前では人は無力であるという演出だ。都会にはない生きる上での厳しさが自然にある。
であるからこそ、オルデダーレンに生息する動植物や生活を営む者が逞しく見える。岩の隙間に咲いてある花を「美しい」と父ヨルゲンが語るシーンから「厳しい自然の中で、一生懸命になって生きているものは美しい」という意図が伝わってくる。自然の中で暮らすことは、人間社会よりも厳しい試練があり、そこで戦う姿勢が生の実感を得られるのであろう。
プロローグで描かれた親子の会話で「亡くなったら悲しい」と娘が吐露するシーンがある。本作は、大自然の中で暮らすことで見えてくる生死感という、普遍的な人生哲学を切り口としている。
オルデダーレンで起きた自然災害後の映像や写真を入れる演出は、厳しい自然を共に戦った者を偲ぶ文化があると見受けられる。田舎の人間関係は密接で面倒くさいとちう現実は0ではない。だが厳しい自然を生き抜く上で、手と手を取り合っているからこそだ。自然災害という致し方ないと分かっていながらも、赤の他人でありながらも、苦楽を共にした者の死を目の前にすると悲しいのだろう。
その対象が家族であれば尚更だ。隣人や友人の比ではない。地元を離れ都会に生き染まってきたであろう娘とオルターデンで暮らしてきた両親とでは悲しい感情は大きく異なる。だが両親はいずれ終わりが来ることを受け入れているように見えた。悲しい感情を押し殺し、来るべき時に備えている両親の面構えは、死と隣り合わせの自然を背に暮らしているからかもしれない。
終盤、父ヨルゲンは高祖父が山の中に松木を植えたように、松の木の苗木を植える。これからオルデダーレンで生きる者へ、自身がここに生きた証を残し、貴方も厳しい自然の中を逞しく生きていくことができるというメッセージだ。死は避けられない運命かもしれないが、生きることに執着し、1日1日を懸命に生き抜くことはできると、壮大な自然風景が訴えてくる。
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