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映画評 碁盤斬り🇯🇵

(C)2024「碁盤斬り」製作委員会

孤狼の血』『凶悪』の白石和彌監督による初の時代劇。古典落語の演目『柳田格之進』から着想を経た冤罪事件によって娘と引き裂かれた男が武士の誇りをかけて復讐に臨む姿を描く。

身に覚えのない罪をきせられたうえに妻も失い、故郷の彦根藩を追われた浪人の柳田格之進は、娘のお絹とふたり、江戸の貧乏長屋で暮らしていた。実直な格之進は、囲碁にもその人柄が表れることで有名であった。そんなある日、旧知の藩士からかつての冤罪事件の真相を知らされた格之進は復讐を決意する。

白石和彌映画といえば、血で血を洗う暴力や簡単に人を傷つける堕落性を通じて、欲に弱く、感情に振り回されやすい人間の性を描いてきた。しかし、『碁盤斬り』では、180度何もかも大きく異なる。大胆な挑戦でもありながら、白石監督にとって初の時代劇という新境地開拓とも捉えられよう。

草彅剛演じる主人公の柳田格之進がその象徴だ。人々から信頼され、困った人がいればトラブル承知で駆けつける。また、弱音を一つも吐かず、一人娘を養うために仕事にも精を出す。さらに、返済が遅れた際は、過ちを認め、何かしらの形で埋め合わせをしようとする。白石作品を追ってきた人であれば、格之進の誠実さには驚かされると同時に、誇り高き元武士の凛々しい姿に惚れ惚れするだろう。

後半、格之進に濡れ衣を着せた者への復讐と過去の過去の因縁に決着をつける機会が同時に巡ってきたことで、復讐劇が幕を開ける。普段の白石監督映画であれば、サスペンスとして描き、血で血を洗う展開を多用する所、一人の元武士が悪の道へと突き進んでいく様子にスポットを限定し、重厚な時代劇として描く。

重厚さを醸し出す上で、草彅剛の演技力がハマっていた。武士の誇りを胸に清廉潔白であろうとする人の良さが滲み出る格之進から、復讐のために武士の誇りを捨て、煮えたぎる復讐心を静かな気迫を持って相手と対峙する格之進の二面性を演じることができたと評価できる。

また、鬼の形相で復讐を遂げようとする格之進の姿には、微かな誠実さが残っているように見えた。あくまでも元武士であると誇りを忘れていない感じも好感が持てる。


(C)2024「碁盤斬り」製作委員会

タイトルが『碁盤斬り』ということもあり、碁盤は本作では欠かすことができない、格之進初め登場人物らの心情を表すキーアイテムとなっている。

囲碁を対局する際の格之進の勝負スタイルは正々堂々。卑怯な手段や曲がった戦術を使わない。冒頭、萬屋の亭主(國村隼)は格之進と対局したことで、悪き心が浄化される。格之進の愚直で正々堂々を好み、清廉潔白であろうとする心情が囲碁を通じて表現される。

格之進の囲碁は相手の心さえも変えてしまう。萬屋の亭主のようにいい方向に傾くこともあれば、柴田兵庫(斎藤工)のように、プライドに飲まれてしまい、怒りが湧くほどに刺激されてしまう悪い方向へと傾くこともある。格之進と柴田の対局は陽と陰、正々堂々と卑劣の対極な2人の心情を囲碁が炙り出す。そして負けた方が首を貰い受ける生死に一生を賭けた大勝負としての緊張感も醸し出す。どちらが正しく正義であったかと。

タイトルである『碁盤切り』は、格之進が約束事は必ず守る武士としての誇りを捨てつつ、復讐に囚われた野蛮人になる事から踏みとどまるシーンだ。最後まで武士の誇りを碁盤に託していた格之進による、これまでの自分及び過去への決着をつけたカタルシスの解放なのだ。ラストシーンは武士の誇りや綺麗事だけでは生きていけないと悟った格之進の人間味に溢れる姿だ。



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