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映画評 シティーハンター🇯🇵

(C)北条司/コアミックス 1985

北条司の大人気コミック『シティーハンター』を『名もなき世界のエンドロール』『累 かさね』の佐藤祐市監督によって、日本初実写映画化。新宿の裏社会で活動する超一流のスイーパー(始末屋)である主人公・冴羽獠の活躍を描く。

現代の新宿。冴羽獠(鈴木亮平)は相棒の槇村秀幸とともに、有名コスプレイヤー・くるみの捜索という仕事を請け負う。息の合ったコンビネーションでくるみを追うリョウと槇村だったが、突然起こった事件に巻き込まれ、槇村がこの世を去る。現場に居合わせた秀幸の妹・槇村香(森田望智)は、事件の真相を調べてほしいとリョウに懇願する。

舞台を現代の新宿と改変したことで、冴羽獠の「もっこり」が受けるのか観る前は心配になったが、そんな心配はどこ吹く風。

冴羽獠の「もっこり」好きを貫き、すけべ心を用いたギャグも光る。冴羽獠役を務めた鈴木亮平の思いっ切った演技と肉体美、夜の新宿という雰囲気もあって、ギャグとして昇華できたのが要因だろう。Netflix限定配信映画が劇場で観れる嬉しさはありつつも、家で観ていたら声をあけで笑っていただろう。

当然、現代に合わせて気を遣った表現であることも画面から伝わってくる。冴羽獠が無闇に女性の体に触るなどの直接的セクハラ行為をせず、極力妄想など間接的に留めていた。また、基本的な交流は夜食の女の子。妄想を膨らませる相手もAV女優か露出が際どいネット民というバランスも取れている。依頼者に対して「もっこり」の色目を向ける冴羽獠の特徴を逆手に取っていた展開も巧みだ。

極力ノイズを避けつつも冴羽獠を貫けるギリギリのラインを責めていたことも画面から伝わる。正直「もっこり」が無ければ冴羽獠では無い。コミュ力が異様に高く、女の子からの信頼も厚いという前提をしっかり作り込めたのも大きいだろう。だが、あくまでも冴羽獠だから許されているのだと、理解しておかなければならない。


(C)北条司/コアミックス 1985

全体的にはギャグも良し、アクションも良し、ストーリー展開も良しと文句のつけようは無いのだが、新宿という街の雰囲気をうまく捉えきれていないのが残念なところ。

というのも、新宿が寂しい街に見えないからだ。多くのサラリーマンが経済活動のために駅を降り、見渡せば常に人ばかりだが、知り合いらしい知り合いはごく少数で、繋がりらしい繋がりは極端に少ない。であるからこそ、寂しさを埋めるために夜の街へと人は赴く。

本作で描かれる新宿は、ただ明るく活気のある街のように見えてしまった。本来、明るく活気のある割には、熱のある人肌が欲しくなるなど暗い一面があるものだが、描かれるのは裏社会程度。夜食の人も溶社もノリノリで元気な人たちばかりで、陽キャ集団の騒ぎを見せられていたのがマイナスだ。

また、事件を起こすことで新宿の闇を描くという記号的な表現では、新宿の闇・寂しさの本質には近づけない。根は深く常に付きまとうものだ。それに本作で起きる事件は新宿である必要性がないのも、寂しさを描けなかった理由だろう。

単純な新宿描写に引っ張られるかのように、冴羽獠が寂しいやつに見えない。もちろん、明るい反面、弱肉強食の世界で常に緊張感を持って行動してる二面性は描かれる。だが、厳しい新宿でしか生きれない寂しい人物像のアウトローというよりかは、新宿をテリトリーとする潜入捜査官のようだ。寂しさ埋めるために新宿の夜の街へと赴き明るく振る舞う哀愁さは無い。

寂しさを表現できなかったのは、決して鈴木亮平のせいでは無い。むしろこれ以上の適任はいない。新宿=冴羽獠ではあるが、冴羽獠は大都市に住んでいる一人に過ぎない。新宿の明るい反面寂しさも漂う雰囲気があってこそ、冴羽獠の魅力はより光るだけに勿体無い。

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