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【ショートショート】Give (and) Take

年を取るって悪くないわ。
そりゃ誕生日の度、いろんな物を失う人もいるでしょうね。
みずみずしい肌だの、滑らかな指先だの、透き通った声だの。
でもあたしは生まれつき、そんなもの一切与えられなかった。

口紅を引いた唇を、軽くティッシュで押さえる。
鏡の中には、こってり塗った普通のオバさん。
年を取ってあたしが手に入れたのは、これ。
失ったんじゃない、手に入れたの。
欲しかった容れ物じゃないわ。でも身体を容れると、案外、悪い心地はしない。オバさんなら、意地の悪い「フツーの人」って連中はジロジロ見たりしないもの。いかつい男にしか見えなかった容れ物より、ずっとマシよ。

年を取ると色々な所に肉がついて、おまけに重力が肉を引っ張りやがった。
おかげで、丸い見た目になったわ。
高すぎる身長は猫背でごまかした。
今じゃドスンとした中年女。適合手術はしてないの。
昔のあたし、脂肪がつかなかったのもあるけど、女装が苦手だった。
女装したいのに、女装が苦手。オンナになろうとし過ぎってのが失敗の素。
そりゃ目ぇ剥かれる代物になるでしょうよ。
ま、若い頃の話はいいわ。
プラダのバッグとオーダースーツで出勤よ。

今日は風が強い。何か新聞紙みたいな物が飛んで来て、顔にガササッと張りついた。やめてっ。
払いのけると、あっという間に後ろへ飛んでいく。あとで化粧直さなきゃ。

満員電車の中で、気になることがあったわ。
あたしを矢鱈しつこく見ている男がいた。坊主頭で馬鹿みたいな長身。
レスラーみたいな体格のくせにダブルのスーツ着ているから、よけい横幅が目立つ。
そいつの目の端で、ジジッて金属の焦げる音。
なんだよ!
言いたいことあるならハッキリ言えよ!
力じゃ負けねえぞ!
あたし、ホントは怯えている。
誰かから不意打ちで「あ~~~~~!!!!」って指差されることに。
都会は若くもなけりゃ、美しくもないけど酷く醜くもない人間には、無関心。
あたしの原型はゴツくてデカい男。声も太い。
あたしを男だって気づいた奴らでも、大抵は知らんぷりで通り過ぎる。
でも稀に、あたしが「程度の低いフツー」に隠れているのを、許さない奴らがいる。あたしが包まっている「中古の女」って外側を引っ剥がして、丸裸で大勢の前に晒さないと気が済まない連中は、残酷で執拗な目で睨んでくるの。
オカマの何が悪いの?きれいな若い子しか女装しちゃいけないの?ヒトは自由なの!ムサいオヤジがカマで厚化粧で香水プンスカでニセパイで朝の通勤電車乗ってもいいの!!!!

あたしの会社は優良企業。トランスのあたしを受け入れてくれる。
1階のロビーで、同じ課のヨコタヨーコがエレベーターを待っていた。
あの男のこと、笑い話にして言ってやるわ。
ヨコタヨーコはあたしの顔を見るなり、絶句した。
「シラトリさん、あなた…」
あたしの左目を指差す。
そう言えば、さっき新聞紙みたいのが被さって来た。
「つけ睫毛とれてる?」
あたしは左目に触れる。ううん、触れようとした。
でも指は、何にも触れなかった。
ヨコタヨーコは言いづらそうに、でもあたしの顔から目を逸らさずに言った。
「…そうじゃなくて…、左目、ないよ」
あたしの指は、本当なら目のあるはずの場処で止まらなくて、その奥までユラユラと入っていた。何処までも頭の中へ入っていきそうだった。
右目だけをつむった。
途端に真っ暗。
指先は左目のある筈の空間で、目玉をつかもうと足掻いた。
身体中から冷や汗が噴き出た。脳みそは、冷静にならなきゃって指令を懸命に出している。
口からツルツルと明るい言い種が出ていた。
「そうなの!左目ないの。ウケるでしょ~!」
パンプスの足が、口とは別物みたいにガタガタ震えた。

 #

「けっ!気色わりー」

昔のアタシ。
そう言われるのはザラだった。
通り越しながら悪態をつくのは、見ず知らずの男たち。
その度、あたしは「冷静にならなきゃ」って自分に言い聞かせて、踏ん張って足を前に出して、気色悪くて何がイケないの?気色悪くちゃイケないの?まっすぐに歩いてあたし、デカイ男がミニスカなんだから歩けるでしょ、駅まであと3メートル、電車に乗ればへっちゃらよ、下着はちゃんとレースでも気色わりぃの、それがアタシ、それがアタシ!!!!
オフィスの時計の針は、10時27分を指していた。
あたしは机について仕事をしているわ。普通を取りつくろって。
欠けた所があるのが普通なのって顔していれば、欠けた所のない人間になれるのよ。
オフィスの連中は、あたしの顔を見ないふり(で盗み見)しているわ。

″ママ~、あのおじちゃん、スカートはいてるぅ~!″

子どもは天使。
ケッ。
若いころ何度も言葉鈍器でぶん殴られたから、ガキに何言われたって撫でられてるようなモンよ、ガキの母はその声ではじめてバケモノに気がついてバケモノからゆっくり視線をはずす、そうよバケモノがスカート穿いてるんですよって顔で、アタシは人間界にい続けてやるの。

10時28分。
あたしは席を立った。トイレに行くだけよ。
10時29分。
鏡の前で呆然としたいだけ、呆然とした。
顔の左目一帯から頬にかけて、黒ずんだ靄がかかっていた。
手で触れると、何もない。

次の日も、電車の中であの男がいた。
やっぱりあたしを睨んでいる。
昨日のあたしは、強気で睨み返した。今日は無理。
電車が揺れて男の向きが変わる。後頭部から頭の天辺にかけてハゲだった。
なによ、アンタだって欠陥品じゃない。
アンタ、昔の男に似ているわ。ハゲも、レスラー体型も、ひげ面も、人相悪いのも、セックス強そうなのも、酒癖悪そうなのも、すぐ怒鳴る大バカで、金銭感覚ゼロなくせにケチで、ギャンブル止められなくて、セックスはやたら強くて、ブスって罵るくせに毎晩サカりやがって、殴るバカで、蹴るバカで、ハゲって言ったら100発殴るバカで、セックスだけはスンゴク良くて。
セックスなんてどうでもいいじゃない!
よくないわ。
デカいのかしら?
デカくて黒そうよ。
いやよ!あたし、ジャニ系が好きなの。
(「じゃにけい」を変換したら「蛇に刑」って出たわ。だから何よ)
背は高くなくていいの。顔が小さくて肌がすべすべで、頬っぺたと腰つきがすらっと細い子がいいの。
分かっているわ。
ハゲで顔がデカくて殴り返したら10倍殴り返すレスラーじゃないと、あたしにハメてくれないの。
おまえなんか大嫌い。お情けでヤらせてやったんだよ。へっ。

1階のエレベーター前で、今日もヨコタヨーコ。
「オハヨ」
いつになく可愛く言うと、ヨコタヨーコは固まった。
「……シラトリさん、あなた…」
何、その目。ヤな感じよ。
「右の脇腹、どうしたの?」
指差す辺りを見下ろすと、脇腹に黒い靄がかかってポッカリえぐれていた。
オフィスで心配そうに言う人がいた。集団からはじき出された格好で近づいてきた。
「大丈夫?病院行ったら」
「ダイジョブよ~~」
何科に行けって言うのよ、アンタの脇腹えぐれても病院行くのかよ!
1時間後、トイレで触ってみたら、やっぱり何もなかった。

次の日は、左腕がなくなっていた。ベッドの上で気がついた。
左腕のあった所より、もう少し広い範囲で黒い靄が掛かっていた。
その先に左手だけが残っていた。
動くのか心配したけど、腕はなくても手は動いたから出勤した。
車内には、あの男がいた。
底意地の悪い薄ら笑いだった。
あいつの所為だわ、こんなになったのは。
返しなさいよ!

次は、右膝から上の脚がなくなっていた。
その次は左肩で、その次は右肘だった。
19日後。
残っていたのは、髪の毛、右目一帯、鼻と唇の右側、左手、右手(でも指は3本だけ)、右の胸あたりから腰にかけて、左のくるぶしから下、右膝から下だけになった。
ぼんやりとした人型の闇にそれらが浮かんでいる。
スカスカの形態だった。
満員電車の中では、あたしが幅を取っていた分に乗客を詰め込むことが可能になった。
「だから混雑緩和に役立ってるのよ~~」
休憩時間にはしゃいでやった。ヨコタヨーコとかに。
怖かった。
あたしのいたはずの所に、何の疑問もなくグイと身体を押し込める人間たちが怖かった。押されてあたしのところまで来る人間は黒ずんだ靄を軽く見るけど、疑問なんて1秒以内で消えてしまって身体を押し込める。スマホ見てる。ゲームしてる。ニュース見てる。アタシが気色悪くないの?何呟いてるのSNS、言ってるんでしょ?キショ!!
     キショ!
 キショ!
         キショ
   キショ
       キショ!
            キショ
                  キショ!!
              キショ
          キショ          
             キショ
                  キショ
            キショ
   キショ
       キショ!!!
キショキショキショキショキショキショキショキショキショキショッ、今日もあの男があたしを見ている。

 #

朝起きると、いつもの習慣で身体から消えた部分を探したけど、見当たらなかった。
電車に乗る。いつものように人に入り込まれたけど、あの男はいなかった。
助かった。
理由もないのに、そう思った。
きっと身体は戻ってくる、そんな気がした。
いつもより力強く歩いて会社に着いた。
エレベーター前にはヨコタヨーコ。

「お・は・よっ」

ヨコタはチラッと見ただけで、何も言わずにエレベーターの方へ向き直った。
と思ったら一秒遅れて振り返る。
「シラトリさん…?」
「そうよ。シラトリもえ菜よ」
「え?…ウソッ!…えっ!やだっ!…でも、声はシラトリさんだし…」
「なによ!なに?失礼ね!」
「か、鏡見て!」
あたしはトイレに駆け込んだ。

女子トイレの鏡の前に立っていたのは、ダブルのスーツを着た柄の悪いレスラー体型のオヤジだった。
そいつがこっちを見ている。
何かに怯えた目つきだった。
ヤダ、ムカつく奴のこういう顔、うける。
あたしがあたしの頬に触れると、そいつも自分の頬を触るの。髭を剃って数日目のざらつきが指につたわって、あたしがひぃ――――って顔をしかめると、そいつの不細工ヅラも歪んだわ。
恐る恐る俯いた。
上目遣いで見てやった。
ハゲって言ったら100発アタシを殴ったハゲが、鏡の向こうでテカっていたわ。







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