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短編「ネクローシスのスープ」

外の世界はキケンだと聞いたから、森にいる。森はいつだって、居心地悪く、居心地よい。べたつく汗が肌身はなさぬ毛布になる。ムカムカするほど心地よいから、次は気が迷う。サクリ、と軽い足音がする。森の外へと踏み出して、明るい草を踏んでいる。
そこは白昼の草原と—————————もう一つの森があるだけだった。
向こうの森に近づこうと前に出る。あまりにも安易な一歩ではないか、大抵こういうのは罠なのだ。草の中から飛び跳ねてきた物体が、私と森の間に立ちはだかる。一枚の紙である。そこに「求人広告」と書いてある。
「求人」「広告」?
初めて見る言葉だった。意味が分からないながらも、悪い企みであるのは間違いない。宙にフカフカ浮かぶ「事務系総合職 残業月に5時間以内」の文字が、私を誘っている。怯えて後ずさると、さらに何枚も飛び出してくる。「食品メーカーでレシピ開発 正社員」「プロフィールだけで簡単応募」「○○グループは正しいお水をしています」
私は叫びながら走っていた。追い掛けてくる「求人広告」を、次々腕で払っていく。森の中へ逃げ込む。もとの森なのか、もう一つの森なのか、そんなのは知れなかった。暗い樹の下を遮二無二走っていくと、またもや真昼の草原に出る。絶望だ。膝に手をつき息を整える。走るなんていつ以来か。暴力的に目の回る草を見ていると、渦の中からある記号が浮び、私を救う。
          

                       「  =  」


森は何処までも広がり、草原を包みこんでいる。全く理論的に、草原は森なのだ。ジトジトした汗が、首から背中から染み出して、私を覆い、私を護った。
草の続く先に白い建物がある。底辺が高さより長い円筒形の建物だ。古びてはいるが、スープを容れるポットに似ていなくもない。あの中にスープがあるのは分かっていた。非常に空腹だった。私は蓋となっている円い屋根に手を掛けている。私が巨人になったのか、建物が小さくなったのか、どちらかだったが、ひとまず腹に何か入れたかった。蓋の下には、真っ黒な液体があった。何世代か前の人間が、メトルダウンした原子力発電所を何処かに置きっ放しで逃げた、か、死んだ。という話が頭を過ったが、それは森の外の出来事だった。真っ黒な液体にはスプーンが差してある。それで掬って口にふくむ。甘くも塩辛くもない。昔食べたカルメ焼きの味がこのスープにしないのは、許せなかった。二口三口啜り続ける。味が分かるまで飲み続けてやる。


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