マガジンのカバー画像

大きく手入れのゆきとどいた公共の公園

8
【短編小説】
運営しているクリエイター

記事一覧

【短編】快速夏号1番ホーム

光りかがやく葉っぱが、列車のスピードにあわせつぎつぎと流れていきます。新緑のこの季節、窓の外はみがきぬかれた大粒のエメラルドがごろごろ流れていく川のようではありませんか。 空が一駅ごとにひろくなるのですから、樹々もおもいきり葉をゆさぶれるというものです。 「なんだか鼻がむずむずするなあ」 たかふみ君はそんな景色にも気をとめず、鼻のあたまをこすっています。 むずむずするのはお家を出る前からのこと、花粉症のせいではありませんでした。 入学式もオリエンテーションも終わってひと月

短編「レモン」

僕の小学校では、給食の時間になるとクラッシック音楽が流れた。「G線上のアリア」だった。 どこまでも甘やかでゆったりとした曲にのせ、放送委員の抑揚のない声が「みんなで手洗いをしましょう」と流れてくる。 僕はけして潔癖症ではなかった。むしろだらしない方だ。でも手洗いの時間が来ると、水道の前に立って10分でも20分でも洗っていた。それは一時のあいだ、僕の中だけで流行っていた遊びだった。 丹念に泡立てたクリーム状の泡で、指先から手首までをたっぷりと包み込む。厚みのある柔らかな泡のかた

短編「ネクローシスのスープ」

外の世界はキケンだと聞いたから、森にいる。森はいつだって、居心地悪く、居心地よい。べたつく汗が肌身はなさぬ毛布になる。ムカムカするほど心地よいから、次は気が迷う。サクリ、と軽い足音がする。森の外へと踏み出して、明るい草を踏んでいる。 そこは白昼の草原と—————————もう一つの森があるだけだった。 向こうの森に近づこうと前に出る。あまりにも安易な一歩ではないか、大抵こういうのは罠なのだ。草の中から飛び跳ねてきた物体が、私と森の間に立ちはだかる。一枚の紙である。そこに「求人広

【ショートショート】Give (and) Take

年を取るって悪くないわ。 そりゃ誕生日の度、いろんな物を失う人もいるでしょうね。 みずみずしい肌だの、滑らかな指先だの、透き通った声だの。 でもあたしは生まれつき、そんなもの一切与えられなかった。 口紅を引いた唇を、軽くティッシュで押さえる。 鏡の中には、こってり塗った普通のオバさん。 年を取ってあたしが手に入れたのは、これ。 失ったんじゃない、手に入れたの。 欲しかった容れ物じゃないわ。でも身体を容れると、案外、悪い心地はしない。オバさんなら、意地の悪い「フツーの人」って

【ショートショート】水蜜桃、食べた

若いというには相応しくない年齢を迎えようとして、それでもなお若者は充分に美しかった。 おのれがその年齢に差しかかっていることを、若者はよく弁えていた。 しかし美しく生まれついたことには、全く以って無頓着であった。 むしろおのれを醜いとすら、思い込んでいた。 乙女らが彼の顔を桃の花にたとえても、奇妙な戯れ事にしか聞こえなかった。思わせぶりな目つきで物陰に誘われると、気味の悪さに走って逃げた。 物心ついた時から、男ばかりを視ていた。 屋敷の高窓から、下衆の者たちが両肌を脱ぎあせ

【ショートショート】デブエット

「月って、時々サボってる」 夜空を仰ぐミノルの言葉を、おれは半分聞き流していた。 「今夜は三日月なのに、昨日と同じ細さだもん。太るのをサボってるんだ」 じゃあ、お前と逆じゃないか。 つい意地の悪いことを言いたくなる。 先月始めると言ったダイエットはどうなった、脂肪の貯金箱。 「毎晩月を見てるけど時々そうなんだ」 おまけにお月サマが好きなロマンティストと来たものだ。 「ねえ、ちゃんと見て」 「ハイハイ」 仕方なしに空を見れば、細い月。だが昨夜の月と何が違うかなんて

【ショートショート】天にまします

男が講義を終えてダイニングへ降りると、すでに昼食は出来ていた。 分厚いステーキは、男が妻にリクエストした好物だった。 A5ランクの培養肉だ。 「午後も講義なの?」 「ああ。書斎から遠隔授業だ」 5歳の息子が口を尖らせる。 「遊ぶ約束は?」 「講義が終わったら、遊んでやるぞ」 「また、あの遊び?」 妻が美しい眉をかすかに寄せた。 「悪い生き物をやっつけるだけだ」 息子も口をそろえる。 「生かしちゃいけないんだよ、ママ」 「そうだ、あれはパパ達人間とは違う生き物だからね。

【ショートショート】いちごシェイク

僕は春崎いちご、17歳。同級生の風知くんに片思い中なんだ。風知くんを見上げると、細面のマスクに涼しげな目がシューッとして、ふわ~吸い込まれそう。僕、背が低いから自然とキスをおねだりするポーズが出来ちゃう。きゃはっ。 そんな僕の自慢は、風知くんと同じ所にホクロがあること。左の親指の先っちょに3ミリ位のホクロがある。 「お?俺たち同じ所にホクロあるじゃん」 そうだよー。やっと気づいてくれた? 「どこどこ」 首を突っ込んで来るのは、同級生の寅川。せっかく二人きりで話していたのに~。