全編集者・ライター必読の名著に学ぼうとしたけど学びきれていない「悪文をどう直せばいいのか」問題
悪文を書かないための鉄則とは?
編集者をやっていると、たまにあるんです。「これは、どうやって直せばいいのか…」と途方に暮れる悪文に出合うことが。
とくに雑誌の編集をしていた頃は多かったです。ただ情報を羅列しただけの単語のかたまりみたいな原稿が上がってきて驚いたこともありました。やっと上がってきた原稿の中身が乏しすぎて実質10分の1の分量だと気づく校了の5時間前みたいなこともありました。
「てにをは」がおかしい人、手練れだけど文体のクセが強い人、なぜか句読点を一切打たない人。いろいろな人が入り交じるのが雑誌の魅力でもありましたが、たまに遭遇する悪文にどう対処するかは編集者の悩みの種と言えるかもしれません。
そもそも悪文の定義は何なのか。
読みづらい、わかりづらい、伝わりづらいの三拍子?が揃った文章。支離滅裂な文章。構成がめちゃくちゃな文章。ちゃんとした日本語になっていない文章。自己陶酔がはなはだしい文章。絶望的に面白くない文章。
(列挙しながら自分にブーメランが続々飛んできているのは承知しています)
いろいろあると思いますが、やっぱり一番は「読みにくい」ことではないかと思います。文章は読むものなので、それが阻害されるのは読み手にとって一番のストレスになるはずです。
先日、ある敏腕ライター氏と打ち合わせをしていたら、
「わかりやすさ」と「読みやすさ」は違うと仰っていて、なるほどと思いました。
「わかりやすさ」は内容の問題、難易度の問題なので、わかりやすくなるようかみ砕いて説明するか、説明を尽くせばいいのでそんなに難しくない、と。要はやる気の問題(と解釈しました)。
一方の「読みやすさ」は文章の問題、構成の問題。要はテクニカルな問題だということでした。
となると当然、読みやすくするには、書く方はもちろん、直す方にも技術が必要になります。
じゃあ、偉大なる先人たちはどう悪文を直してきたのか。
ふと思い出して引っ張り出したのがこの本です。
その名もずばりです。副題は「伝わる文章の作法」。岩淵悦太郎さんという国語学者が編著者です。
新聞記事や裁判の判決文、子どもの作文まで、さまざまな悪文の実例を挙げながら、それがなぜ悪文なのか、どうすれば良かったのかを懇切丁寧に説いています。
1960年に刊行され今も版を重ねているということで、60年以上読み継がれているロングセラー本です。朝日新聞の書評で取り上げられていたので買ったのですが、恥ずかしながらそれまでこんな本があるとは知りませんでした。
これは勉強になりそうといことで読み始めたのですが……
読んでいて、すぐにつらくなりました。
例題の悪文がなかなかにひどくて、どう直せばいいのかと頭を抱えながら読むはめになったからです。例題のあとの理路整然とした指摘や添削例は素晴らしく、勉強にもなるのですが、いちおう編集者なので「自分だったらどう直す?」という視点でまず読んでしまうのです。
職業病なのかもしれませんが、自分の文章を直す力がこんなにも未熟なのかとヘコむこと多々でした。
まぁ、そんな個人的なことはどうでもいいのですが、この本には文章を伝わりやすくするための具体的な方法がたくさん示されています(この「されている」などの受身形の多用も悪文の一因になるとの指摘あり)。
「長文病」「結論なかなか示されず病」「ていねい過ぎ病」といったユニークな表現での批評は、まさに悪文の病巣を見つけて手術する名医さながら。主語・述語の不適切な使い方に関する指導も手厳しく、「私(わたし)」を使うことを嫌うのが日本語のクセだという指摘には思わず膝を打ちました。
主語は後ろのほうではなく早めに出した方がいいとか、主語と述語の距離は短い方がいいとか、基本的なことですが怠りがちな考え方や作法が随所に散りばめられています。
と、散々書いておいて恐縮ですが、この本は上記のような個人的な理由(言い訳)からまだ読み終えていません。ですが、
例題を読む→まず自分ならどう直すか考える→添削例を読む
を繰り返すうちに、勘所がつかめてきたのかペースアップしてまいりました。一刻も早く一流編集者への道を駆け上がりたいと思います。
ちなみに巻末には、索引に代えて「悪文をさけるための五十か条」が掲載されていて、これだけでも一読する価値は充分にあると思います。
編集者はもちろん、書く人にとっても気づきの多い本だと思います。
文/アワジマン
迷える編集者。淡路島生まれ。陸(おか)サーファー歴23年のベテラン。先天性の五月病の完治を目指して奮闘中。
本づくりの舞台裏、コチラでも発信しています!
Twitterシュッパン前夜
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?