見出し画像

【食の短編小説】はんぶんこ③

#3 湯豆腐


梅雨の長雨により、ずっと運動てきていなかったわたしは、雨上がりの日曜午後に家を出て、家の前の通りをひたすらに西に進むことにした。社会人3年目、20代の中盤にもなると、運動不足というワードが頭の中をよぎり、体型維持のためにもジョギングを始めようかと思っていたのだ。


ジョギング開始…!の選手宣誓を心の中でおこない、家から西へひたすらに進んで信号待ち。反対側にあるファミレスの店内をガラス越しに覗き、家族とのクラブハウスサンドイッチの思い出を思い出し、雨上がりの夕焼け空を見ながら、お盆は関西の実家に久しぶりに帰ろうかなと意気込んでいた。


何事も初日はモチベーションが高い傾向にあるのか、夕焼けが沈む川沿いまで走ってみようという気持ちになる。三日坊主にならないように初っ端で無理しすぎないてねという、彼からの忠告をまた無視してしまったけど。


そしてまさか、ジョギングのハーフタイムで息を整えていたときに、行きつけだったネパール料理店の店主に遭遇するとは。店主と話していてネパールカレーや彼の家族が浮かび上がるように、料理や食卓が思い浮かぶって、なんか嬉しいな。


そうこうしているうちに日も暮れて、そろそろ晩御飯の時間。走ってきた道を少し早足で戻る。そんなに走っていないのに左足がプルプルしてるのが、運動不足の証拠だ。

足のストレッチを軽くしてから、団地の階段へと進む。低層階に住んでおけばよかった、とひとりぼやきながら、階段の手すりを杖に1段ずつ登っていく。3階までもう少し。

***


302号室。玄関ドアの鍵をカバンの中から探していると、給湯器が稼働する音が聞こえる。彼がお風呂に入ってるのかもしれない。カギをあけてリビングに入ると、普段料理なんて一切しない彼が、料理を作っていた。


「え、どうしたの??」と言いたくなる気持ちをおさえ、静かにその様子をソファから見ることにした。


ガスでお湯を沸かし、そこに塩を少し入れて、豆腐をいれてる。ほう、作ってるのは湯豆腐か。感心していると、炊飯器が音を鳴らす。

「米も炊いてたんだ、そもそも米研ぎできないのかと思ってた…」と心の声が漏れそうになり、「お米と湯豆腐、これにあと何が出てくるんだろう…」と、次の展開に胸がはずむ。

鍋から豆腐を掬い、冷蔵庫から見つけたポン酢とチューブのしょうが、引き出しに入っていたかつおぶしを用意している。さらに、炊き上がった米をむらす。知らなかっただけで、彼って料理の基本知ってるじゃん。


「ご飯、出来たよ」と、彼特有の低音ボイス。

もしかすると、ご飯と湯豆腐だけ…?ごはんのおかずないじゃん、栄養バランス大丈夫…?というツッコミが、外野から飛んでくるかもしれない。私も一瞬そう思った。

でも、普段料理をしない彼が、私から料理してと言われずに自発的に作った料理なのだから、むしろ嬉しかった。初めての彼自作の湯豆腐をいただけるんだから。それに、かつおぶしとしょうがをのせているところにも彼なりの栄養バランスへの配慮が感じられた。そんな彼の気持ちを感じられただけで、その気持ちと心配りがごはんのおかずになると思った。


「秀太くん、ありがとう。いただきます」


彼が作ってくれた湯豆腐が、わたしの中にある食アルバムの表紙になったことは言うまでもない。

*****

食体験をはんぶんこしてくれた人

榎本 妃世里さん(ていねい通販)

1994年4月19日生まれ、神戸出身。
武庫川女子大学を卒業後、株式会社生活総合サービス(ていねい通販)に入社。新卒1年目から採用担当として従事する傍ら、言葉とイラストのメディア『ていねい書店』(https://teinei-bookstore.jp)の編集長を務める。現在は一児の母として子育てと仕事の両立に奮闘中。
Xnote



▼食の短編小説「はんぶんこ」連載はこちら▼


いただいたサポートは、Podacast「人生百貨店」の運営費やいろいろな言葉・感情に出会うための本や旅に使わせていただきます!