都会の忙しなさと田舎の穏やかさ


自分は東京で生まれてからというもの、人生の大半を東京で生きてきた。そして大学進学を機に、程度はどうあれ一般的には田舎と言われる地域(以下田舎として扱う)に身を移し過ごしてきた。そして来年からはまた東京に身を置いて生きていくと思う。


なぜ地方の大学へ進学することにしたのか、それは1人暮らしを大学生のうちに体験しておきたかったからだ。というのも、高校を卒業するまで親の縛りが非常に強かったことが当時の自分にとって非常に大きなストレスとなっていて、そこから解放されたいという思いで勉強に励んでいたからだ。それと、都会の忙しなさから離れて田舎の空気を吸って生きていた方がいきいきとした生活を送れるのではないかという淡い期待(下心ともいうべきか)や、大学入試が上手くいかなかった自分への修行期間という思いもあった。


では、そんな田舎生活はどうだったのだろうか。結論から話すと、「豊かな自然と触れ合える喜びを得た代わりに人の温かさを失う」こととなった。周りにいた人が大学生だったからだろうか、それとも田舎だったからだろうか、理由は今でも分からない。田舎に移り住み始めた頃、いや来る時から想定していたメリットでもある豊かな自然や風景を思う存分楽しむことができた。歴史的建造物や家屋、桜や紅葉、一面に広がる田んぼ、すぐそばにある湖、どれも感動したのを覚えている....


でも見慣れた景色・風景というのは時間が経つにつれて風化していく、言い方は悪いが見飽きたと言った方が良いかもしれない。そんなの贅沢だと非難する人もいるかもしれない、でも考えてみても欲しい。毎日youtubeでおんなじ動画を見る人はある意味宗教じみた人に見える、それと同じ理屈で考えてくれれば良い、そういうことだ。というか自分はこういうことすら気付けなかった大バカ者だった。想像力が乏しいというか、あまり深く思考してこなかったツケが回ったといった感じ。


新しい地に行けば新しい出会いがあると考えた自分は、大学の新入生歓迎会(新歓やイベント)に行けるだけ行って「友達」を作った。今でも仲良くさせてもらってる友人にも知り合うことができたので感謝はしているのだが、いかんせん親の縛りもあって友人と遊ぶ(ご飯も含む)機会をあまりしてこなかったせいか、喋り終わって下宿先に帰った後の精神的な疲労がすごかった時もあった。テンプレ通りの自己紹介、中身のない会話、コピペのようなLINEの文章...これのどこが「人の温かさ」なんだろうか。


生まれた土地なんて自分で決められない、そんな当たり前のことが頭から抜け落ちた人が自分に対して話しかけてくる。いや、もしかしたら自分のことに興味がないからそういう話題を振ったのかもしれない。そんなことを考えながら特に面白みもない自分が生まれ育った東京の地を説明する、そんな毎日。まるで同じ日を繰り返していくかのように、日々の時間を潰していった。周りの人たちも特に疑問を持たずに自分と同じように日々を過ごしていく...


なんだろう...孤独とはまた違うなにか温かみが無い交流、AIスピーカー同士の会話みたいな...。周りの人の価値観に縛られた感じ(もしかしたら受け手の自分に固定観念があるのかもしれないけど)とか、出る杭は打たれる感じとか、これまで自分が経験したことのないようなデメリットが田舎にはあった。価値観の多様性を受け入れられない人に限って多様な価値観を受け入れようとか言っちゃったりして。


これが自分の求めていた「田舎の穏やかさ・人の温かみ」なのであれば、そんなものいらない。やっぱりなんだかんだで忙しない東京が好きだ、そんなことを再確認した大学生活だった。