チャンスは不平等
チャンスは平等にある
一番嫌いな言葉はなんですか?
と聞かれたら僕はこれを選ぶかもしれない。
今日は嫌いな言葉について書いていくので読んでいて腹が立ってきたら読む事をやめて欲しいです。
"チャンスは平等ですよ"
それを言われた時は、
そんなわけねーだろと内心ではいつも思う。
けれど多くの場面で使われる。
この言葉を使う大体の人は
*チャンスを与える側の人(評価する人)
*チャンスを掴みやすい位置にいる人
の2択なのではないかと思っている。
チャンスを与える側の人は多くはそのチームの監督やコーチ、教師などではないかと思っている。
その人が
"チャンスは平等ですよ"
という事の真意は
"私は全員を等しく見ていますよ。だから選ばれない事に対して文句を言わないでくださいね"
と僕は思っている。
僕が尊敬する指導者の方々は一切チャンスは平等ですよとは言ってこなかった。
チャンスは自分から掴みにいくものだよと言ってくれた方ばかりだった。
また、後者のチャンスを掴みやすい位置にいる人がいう"チャンスは平等"は
"自分はチャンスを掴んでいる(掴んだ事がある)からこのくらいやれよ"
と本当は言いたいのだと思う。
でも本当にそうなのだろうか。
その人は平等に与えられたチャンスをモノにしたのだろうか。
前所属で経歴を持つような選手は中学→高校や高校→大学のカテゴリー変更の時点で、最初からトップチームでプレーができたり、一般入部する人とは違った待遇でサッカーができたりする。
全くの無名チームから来た選手と全国制覇をしているチームから来た選手
果たしてこの2選手に平等にチャンスを与えられるのかって話だ。
そんな事絶対にないと思う。
その中で簡単に"チャンスは平等"なんて言葉でまとめて欲しくないなと、こちらも思っている。
しかし、指導者が"チャンスは平等だ"を使う事よりはネガティブには思ってはいない。
競技スポーツをやっていれば、他人の評価というのは必ず絡んでくる。
スタメンに入れなかったりメンバーに入れなかったりトップチームに行けなかったり
しかしながら、そんな無名チーム出身だったり監督から名前すら覚えられていないんじゃないかという選手もチャンスが全くないわけではないとも思っている。
チャンスは自分から掴みにいくもの
チャンスを待っていたら絶対にこない
とりわけ僕のように悔しい想いをしている選手は特にそうだと思う。
全然試合に出ていなかった選手がいきなり使われた試合で劇的ゴールを決めるのも、急遽出場した試合でビッグセーブを連発するのも、たまたまと言われるかもしれないがそんな事も何度も見てきた。
そういう人は必ず良い準備をしているし、たまたま転がってきたチャンスを確実に物にしている。
自分の置かれた場所を変えるには数少ない転がってきたチャンスを必ずものにする事が大事だと思う。
そしてそれと同じくらい大事だと思うのは
チャンスに気がつく事・チャンスに敏感になる事
だとも思っている。
もっと言えば
チャンスと思い込む事
かもしれない
自分が、これはチャンスだ!と思えば全ての状況がチャンスになる。
逆に考えて監督から
"これはチャンスだぞ"
みたいな風に与えてもらえる事っていうのはあるのだろうか。あるとすればその人はチャンスを掴みやすい位置にいる人間だと思う。
監督から全く認識されない
名前も覚えてもらえていない
そんなところから這い上がるにはチャンスに気がつく事やチャンスだと思い込んでアピールする事が本当に大切だと感じている。
正直いうと、大学サッカー最大のチャンスなのではないかと自分自身で思い込んでいる事があった。
しかしそれはいきなりなくなった。
やはりチャンスはなかなか舞い降りてこない。
サッカーの神様はやはり僕に厳しい。
神様のせいにしだしたら人間として成長がないと思うからこれ以上は言わないでおく。
自分のチャンスを引き付ける力が足りなかった、これに過ぎない。
でも自分の成し遂げたい事のためにはまだチャンスはあるのではないかと思っている。思い込んでいるだけかもしれないが思っている。
絶対に平等ではないその"チャンス"がきた時に必ずものにするために、
チャンスに敏感になりギラギラした生活をしていきたいなと思う。
今日は可愛い1年生GKと自主練をする中で
俊くんがいう
チャンスが不平等って言葉めっちゃ好きっす
と言われたので調子に乗って書いてしまいました。
一瞬消えそうになった火を再度大きくしてまた明日から活気ある生活をしていきたいなと思います。
チャンスは不平等、平等なのは空気と時間
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