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コーチングNote【責任(responsibility)と二番手の病】

☆二番手病の真実は、ただの「責任逃れ」。

キャリア系のコーチングをしていると年に何度かあるのが「二番手病」。自称「支えるタイプでリーダーは出来ません」「軍師タイプなんです」という話にやたらと拘泥している方々に出会います。
 
一応、軍師とは具体的に誰のイメージですか?と聞いてみるのですが、ちゃんと答えられる人は実は少なかったりします。
 
まあ、歴史を学んでいればわかりますよね。例えば三国志で軍師として有名な諸葛亮や陸遜、司馬懿といった面々。日本の戦国であれば黒田官兵衛や榊原康政らとか。名だたる軍師って、普通にリーダーとして最前線でめっちゃ戦ってます。そして、安全な机上から動かずに大失敗を繰り返したのが、太平洋戦争時の幕僚達ですね。
 
ですので、彼らの語る「軍師」という言葉は適切ではなくて、実際には「責任」というポジションにいたくない。責任は取りたくないけど、チームや仕事におけるポジションとしては、重要な役割を演じたい。そんな本音こそが「目的」であり、お気持ちであると言えるでしょう。

☆理屈倒れに命運を預けられない・という当たり前

結論から言えば、こうしたポジションが成立するのは日本の「公務員」系における例外的な世界だけです。民間の会社で「責任取らなくていいから」という条件で会社の命運を託す。そんな経営者がいることは、まあ、ありませんよ。当たり前ですけど。
 
学問を学んできました、知識や資格を身に着けてきました。インプットをたくさんしてきたことが、社会、そして会社への貢献を証明する。当然ですが、現実社会でそんなわけがありません。
 
正解のない状況、即応し、適応することが求められる現場。何をoutputしていくのか。インプットとは真逆のものこそが求められるわけです。そのリアルから逃れ、机上の空論を語るだけの仕事をしたい。そんな願いや考え方に関しては、僕はコーチとしてでも、はっきり「NO」と伝えます。 

銀河英雄伝説(ミッターマイヤー)

☆責任を背負うからこそ、相手に選ばれる

ここまで触れてきたような考え方の背景は、この国に根差す「リーダーだけが責任を負う」という誤った前提、思い込みに基づいていることが多いわけです。学校教育もこうした考え方を助長してしまっていますが、大変残念な状況とも言えるでしょう。
 
そもそも責任とは、自分の行動がひきおこした全てを受け入れ、正面から向き合うということです。

そして、どのような結果や事象が起こっても、それは自分の選択と能力が引き起こした。それを受け入れ、改善あるいは異なるアプローチでまた挑戦する。この繰り返しによって得られる経験知、学びのプロセスが「自信」を生みだします。そして、自分の人生を自ら選び、自分の未来に影響を与えることが出来るという実感を得られることにつながります。
 
その結果、こうした責任感があり、行動の伴う人物こそが成長し、より自信を身に着け、その繰り返しによりより大きな課題、より大きなプロジェクトに選ばれ、向き合っていくことになります。優秀で強烈なリーダーであればあるほど、リーダーが自分の右腕、命運を託そうという人物が「無責任」である筈がないのです。 

☆責任へのアプローチ

ですので、僕はコーチとして問うわけです。「あなたは本当の、本物の軍師なり、リーダーの右腕、盟友と呼ばれるような存在になりたいのか?」と。
 
責任のない社会に生きていきたいのであれば、事実上、公務員試験一択です(あるいは大学の研究室のような特殊な場所で、ずっと責任のない何かが出来る状況を探すか)。その際には、邪心。誰かの隣にいるだけで自分の手柄にしたい、なんの貢献もなく誰かと一緒にいることでスポットを浴びたい・といった虎の威を借る狐のような自身のあり方と向き合うことになります。
 
そしてもし、本当に最前線で戦い、自らを磨き、真の軍師、片腕と呼ばれるだけの存在になりたいのであれば、考え方、行動を根本から変えていくことになります。

その為にはまず「自分に矢印を向ける」こと。成長する人は失敗と向き合います。状況や環境、他者の責任とすることは極めて少ない。これはジャンル問わない傾向にあると言えるでしょう。自分に矢印を向けるからこそ、自己認識を深め、自己効力感をより獲得していくことが出来ます。
 
ですので、自分を客観視(他者からの評価、分析をも受容)し、自分をアップデートし、自分で決め、また行動する。この習慣化に取り組むことが、まず共通して有効な手段となるでしょう。
 
また、この挑戦行動に際しては、少し高いハードルを課すことも重要です。これは僕が常々、触れてきたことの繰り返しですが、現実世界ではスライム一万匹を倒してもレベルアップしません。常に失敗のリスクを抱えた挑戦をしていくことが、自己の成長にとっても重要です。先の公務員世界のように、最初から出来レース。100%成功保証を前提として作られた計画や絶対達成できる目標設定といったことをやっていれば、人が成長するわけがありません。
 
この点で、周囲も環境として結果評価ではないプロセス評価、相対評価といった新しいモノサシを持つことは、また併せて重要です。
 
結果のみで評価がされてしまう世界では、結果を出しさえすればズルをしてもいい。そんな考え方に変わっていく人が一定割合で増えていきます。その結果、実力がないのに世渡りや他者の成果を搾取する人が評価をされ、社会にしても、会社にしても、どんどんと息苦しいものになってしまいます。
 
日本社会の息苦しさはこの「責任」と大きな相関がある。つまり「無責任」な人々が税という巨額な投資に失敗し、失敗してもなお責任を問われず、同じ失敗をまた繰り返していることにある・・とも言えるかもしれません。
 
文化とは欠片の積み重ねでもありますので、まずは自らこうした「あり方」を見直す。責任という力を自らの中に修めていくことが、変化への第一歩になっていくことでしょう。

銀河英雄伝説(アレクサンドル・ビュコック) 

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