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日々の雑感 day58【To build back better. 世界最高の教室②】

今日は「世界最高の教室」その②ということで、前回はこちら。

☆私は「特別」ではない

ダイアン・タヴァナーは前半の多くの分量を使って、自分が「特別」ではなかったのだと伝えようとしている。そんな風に僕は感じました。

各章や各項目のタイトルだけでもわかるんですが、

・昔ながらの教育はもう役に立たないから
・立派な志だけでは不十分だから
・一瞬で打ち砕かれた「生徒を助けたい」という気持ち
・貧しい子、裕福な子、どちらにも必要な教育が届かない罠

等々、もう教師としての無力さに打ちのめされたダイアンの話がたくさん出てきます。加えて、ダイアンが教師の道を志したのは、自分自身の体験からだったんですよね。

両親がケンカをして、母親が負傷し、父親がDVで警察に連れていかれた翌朝。怯える小学校三年生だったダイアンに対し、先生はいつも通りに良かれと思って、勉強に集中していない事や身なりが整っていない事を注意します。

小さなダイアンは自分の状況を説明することも、その機会を与えられることもなく、お風呂に入る事(父親に対して無防備になる)すら出来ないくらい怯えていた自分のカラダが匂っているのではと気遣い、離れた席で一人、プリントに取り組むわけです。

そんな、かつての自分のような子供達の力になりたいと願いながら、教師という職に就いて、その最初の数年で思い知らされたのは、

自分の目指していた目標がいかに非現実で難しいものだったか

だったわけです。

☆「いかに適応するのか?」が未来を変える

日本の教育はアメリカ型(ナポレオンがフランスで築いた軍隊用トレーニングをルーツとする)のコピペですので、ダイアンが出会ったような状況や環境における問題、親世代との常識ギャップといった様々な困難は同じように起こっています。今、この瞬間も。

ダイアンは自らが「成果を出せる教師」になるべく学校という職場環境を変える決断をしています。プライベートでも結婚し、妊娠し、外からは順風なキャリアにも見えたかもしれません。

けれど、彼女自身の中では依然として深い葛藤の中にあり、自身の望んだ成長を得られることもなく、親として自分自身の子供という視点を得る事で、彼女の大事にしている価値観がさらに警鐘をならしていくのです。

愛する旦那さんとの食事中についにその感情が堰を切りました。

「どうかしてると思うの。親ならみんなが、自分のこどもに成功してほしいと考える。私は、自分の生徒たち全員に成功してほしい。こどもがつまずくことでいいことなんて一つもないでしょう。どうして勝ち組と負け組みたいにならなきゃいけないの

☆誤解された「幸福」の定義

アドラー心理学における最終段階の「全体論」「共同体感覚」というステージ。ダイアンは小さい頃から、自分の中にあるこの価値観を大事に、大事に育んできたのではないかなと感じるシーンでした。

そして、このシーンに引き出されるように思い出したのが、ハーバード・ビジネス・レビューでジェニファー・モスの

否定的な感情がないことが「幸福」ではない

という寄稿です。この中で、メディアによる幸福の単純化や思い込みによって、誤った「幸福」が人々に浸透していることが語られています。引用されているショーン・アコルの論文における一文の

「幸福ビジネスが犯している最大の考え違いは、幸福を手段ではなく目的にして、望みの物を得たら幸せになれると考えている事だ。しかし実際の脳の働きは逆で、目標を達成してしまうと幸福感が低減する

に象徴されるように、何かを得られた勝者と得られなかった敗者という単純化によって、どんな高校に入るのか、どんな大学に行くのかで幸福や人生が決まってしまうと思い込んでいる社会意識は、まさにといえるでしょう。

実の所、資本主義といった制度にも、お金そのものにも色はなくて、使う私達自身の問題が解決する事。私達の心、考え方や行動で、こうした分断やお金による差別、制度による格差といったものはもっと小さくなっていくはずです。

ダイアンが人として大事にしたいこうした「共同体感覚」を自分自身で守るために、自分が教師として親として子供達をわけへだてなく愛する為にどうしていったのか?

それを次回としましょう。

*参考



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