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防災士コーチの note⑤【これからのプル型支援(個別対応)への一綴り】

前回、19日に触れた内容とやはりかぶり気味のリリースが出ましたね。
【被災地でボランティアの役割が重要になるとして、活動環境の整備に向けて活動先のマッチング支援などに取り組むよう関係省庁に指示した】
とのことで、この指示が縦割りの中でどんな形になって出てくるのかは着目すべきポイントになりそうです。

☆プル型支援(個別対応)で事前把握しておきたい事

さて、既に支援へ入っている方々の反応、レスポンスをみると様々、繰り返しているようにも感じます。これは、防災という部分で過去の教訓、学びが浸透していないことも意味していますので、平時におけるこうした「智」をいかに共有し、行動レベルでおとしこんでいけるかという根本課題は、まだまだ改善の余地が大きくあります。
 
これまでの災害でもそうでしたが、初めての現場で様々なDNAにスイッチが入り、Sympathy から同化し、自分がまるで救世主かのように燃え上がっているケースもまま目にします。が、こうした方々は地方創生界隈でもよく見られるように、長続きしません。加えて経験がなく、いきあたりばったりに動くことが多いので、現場での評価は芳しくない・なんてことも起こります。ところが、こういうタイプの人や団体に限って無駄にSNS等のPRをもりもりでしますので、その情報や活動内容、寄付金の透明度には注意が必要でもありますね。実際には他の人や団体の成果だったなんてこともよくある話。行政もそれに騙されてお金つけちゃうことがままあるのでやはり要注意です。
 
ステージチェンジをしてこれからプル型(個別対応)へとドンドン切り替わっていきます。このステージにおいては、支援団体や支援者が主役であることはまさにNGと言える態度の一つです。

こうした支援団体が主役のまま移行していくと、避難所や仮設住宅にいる人々の主体性がみるみるうちに失われていきます。僕自身の経験でも頼まれて見に行ったある避難所では、常に何かもられる、与えられるということが当たり前になってしまっていました。その結果として「お前はなにくれるんだ」なんてセリフが普通に避難者の口から出てきます。
 
これは、まさに一番よくない支援の形です。市町村民がこのようなマインドセットになってしまうと復興どころではありません。こうした避難所は、支援団体が寄付金を集めるためのペットのようになってしまっていて、未来にとってむしろマイナスにすらなりうるのです。

☆避難所の主体性を引き出していくこと

一方、その反対となる好例では、僕が支援をしていたある避難所がありました。その避難所では、様々な支援団体から視察のオーダーがあるほど明るく、避難者が主体的に動いて日々を過ごしているところでした。
 
20人規模という人数が良かったこともありますが、今日より明日をよくしていくモチベーションがとても高くて、避難所をいくつも変えてきたおばあさんが「ここにこれて本当に良かった」と涙ぐむくらいよい関係性をたもっていました。
 
石巻や気仙沼を支援する団体の方々からも「こんな避難所見たことがない」という声が漏れるくらいでしたが、他の避難所との違いは早期にそれぞれの「役割」を見つけ、部活、サークルのように出来ることを日々進めていく。そんな一人一人の日々があって、食事の中で対話をして共有して。ですので、僕の役割は、こうした主体的活動を促進するうえで必要な物事を支援する。そこにフォーカスする状態が出来ていました。

☆暇こそ「敵」

活動の一例でいうと、当時はひまわりを植えるという支援が流行していたこともあったのですが、ひまわりの種が来た時に何人かのおじいさんがとてもやる気になっていることに気づきました。おばあさんや奥様達からもともと農業や家庭菜園をやっていらっしゃったこともわかったので、許可を得て、避難所回りの花壇やプランターを使って花や野菜を栽培してもらうことにしました。植物の成長変化は日々の実感を与えてくれますので、日常の雰囲気がガラッと変わっていきました。そんな感じで刺繍やお裁縫であったり、絵をかいたりといった部活的な選択肢を増やしていきました。もちろん、おちゃっこという大事な時間に華をしえる意味で、ただ対話をする為にボランティア(特に孫世代女子)が訪れることも重要です。
 
行政サイドや勘違い支援団体はつい「何もしなくていい」という態度で被災者と接してしまいますが、この「何もしなくていい」こそが禁句であり、孤立死を増やしてしまうワードでもあるのです。

☆高齢者にできることを見つける力

今回の震災では被災者の大半が高齢者という状況であり、特に奥能登の2市2町は建物の大半が立ち入り危険の判定でもあります。地震学者と名乗る方がメディアで「建築基準は命を守る基準であって住み続ける為の基準ではない。壊れたのは地盤や施工のせい」とか「自治体や不動産会社がデータの使い方を間違えていただけで、基準は問題ない」的な自己正当化コメントをしていて「イラッ!」としましたが、要はつまり、多くの避難者が「家」という存在へ戻っていくまでは長期戦になる。その覚悟するしかないという状況です。
 
こうした中で支援をしていく。一人一人の主体性を引き出していくという観点では、リンク時にも触れたように「empathy」が最初の在り方としてまず大切です。決して押し付けの支援であってはいけません。
  
その新しい地域への未来には、こうしたそこで暮らす人々の「意志」が不可欠です。高齢化という中で単なる一地域ではない、地勢学上の視点、歴史的視点、環境的視点、産業的視点と言った様々に絡み合った中での復興においては、この「意志」とその歩みを支える「勇気づけ」が欠かせないことになるでしょう。
 
この復興においても東日本大震災での失敗から学ぶべきことはままあります。そのあたりは次回以降へと回していきましょう。では!

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