【自分史】①たくさんの愛情に触れる、幼少期〜小学生時代
こんにちは、早水俊介です。
前回は簡単な自己紹介を書いたので、今回から自分史と称して、自分がこれまで歩んできた道のりを書いて行こうと思います。
数回に分けて書くので、皆さんに読んでもらえたら嬉しいです。
人生の始まり
兵庫県にて関西出身の母親と父親のもとで産まれました。
2人兄弟の次男ということもあってか、陣痛から出産までの間隔は短く、
すぐに「オギャー!」と泣いて産まれてきたと聞いています!笑
そこからすくすくと育ち、幼稚園に入るのですが、
そこで小学校~高校まで没頭するサッカーに出会いました。
幼稚園時代はサッカーに出会ったことと、なぜか休憩時間に竹馬をやっていたことを覚えています!笑
竹馬にはまった理由が、上手くなるほど、どんどん高い竹馬に挑戦できることが嬉しかった記憶があるので、幼少期から成長意欲はあったのかなと、、
そんなこんなで友達とも活発に過ごしていた記憶も多いのが幼稚園時代です。
自分形成のきっかけ
そして自分にとって転機になった出来事が小学校に進学する直前にありました。
親の離婚です。
それにより母親の実家近くに引っ越すことになりました。
当時の自分は、離婚ということについて、よくわかっておらず、
苗字が変わることや引っ越して新しいところにいくことが楽しみ!と感じており、どちらかというとハッピー少年で親にとっては心配事も少なかったのかなと思います。
そしてそのタイミングで兵庫県内の別の市に引っ越します。
幸か不幸か、引っ越した先で進学する公立小学校が、社長や医者、有名企業に勤める親御さんの子どもが多く通う小学校でした。
この土地柄が自分形成にとって大きなきっかけの一つになります。
今でこそ、母子家庭や父子家庭は多くなってきておりましたが、
当時の自分の周りでは他におらず、自分の家庭は特別なのかなと少しずつ感じ始めます。
友達の家は大きい家も多く、そこに行けば自分の家にはないゲームや遊びができることもあり、遊園地に行くかのように友達の家で遊ぶことが楽しみな少年でした。
ただ友達の家に行くほど、自分の家との格差にも気づくようになり、
子どもながらに経済力は大事なのかもしれないと思うようにもなりました。
最初は親に欲しいものをねだることもありましたが、
気づいたら親にねだることも抑えるようになっていったように思います。
活発な少年が人の愛情に触れる
ただそうは言っても、活発ではあったので友人との仲も良かったり、一丁前に好きな人もできました(成就はしてないです!笑)。
そして放課後は、母親が働いていたこともあり、母方の祖父母の家に行くのが僕の日課でした。
親が帰宅するまで、祖父母にお世話になっていたのです。
だいたい小1〜3年生ごろまでは毎日通っていたので、どちらかというとおじいちゃん、おばあちゃんっ子でした。
当時は帰ったら宿題をしなさい、学校はどうだった?などと言われて、面倒臭いな〜と思っていましたが、
振り返ると、この時にたくさんの愛情に触れていたんだなと感じます。
この時の経験が後々の人生にとっても大事な期間だったなと思いつつ、
ここからの中学校時代も自分形成にとって大きな出来事が起こった時期でした。
長くなったので、この辺りで今回は終了しようと思います。
読んでいただき、ありがとうございました。
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