白昼
午後3時、室外機。
静寂の昼下がりは、まるで丑三つ時のようである。
蝉は羽化していないのか、ひとつも鳴いていない。
積乱雲は雪の壁のように街を包囲し、田んぼに映る反対の世界に挟まれたそこには、誰もいない。
静かである。
ただ聞こえるのは、見知らぬ家の室外機から発せられる低周波音だけだ。
飛行機は音を立てずに、ゆっくりと空に筆跡を残している。
私は宗教を信じない。
しかし、このひとりの世界を見るとき、天国というところがあればよいと思う。
地獄でもよい。
死者があの世で生きていて欲しいと願うのである。
これは死者への祈りだけではない。
私自身への祈りでもあるのだ。
そして、彼らが遺した遺跡が永遠に失われなければよいと思う。
そうしたら私は孤独ではなくなるのだ。
気づけば飛行機は田んぼの世界の枠外へ消えた。
私は白い筆跡がだんだん傾き、薄れてゆくのを眺めた。
あまりにも、残酷だ。
やはり、ひとりなのだ。
白い室外機はごうごうと音を立てて、壁の向こうに冷気を送っている。
この音の数だけ、壁の向こうには人がいて、活動している。
誰もいない世界に、誰かがいるみたいなのだ。
私はそれだけで十分に思う。
愛は少し怖い。
それは雲に乗って空を旅することと似ている。
だからこれで十分なのだ。
悲しみに疲れた私は、いつも地上で室外機に耳を傾ける。
できることなら、この低周波音が、ひとつも失われなければよいと思う。
天涯の彼らはもう居ない。
だんだん、全て失われてゆく。
空の青が膨張し、私に侵食して、私を宙に放とうとしてくる。
その度に、私は焼けた地面にしがみつく。
罰だ。
室外機の音に耳をすませて、私は陽炎に溶けた街に身を隠す。
ひこうき雲も消え去った青空、乾いた午後。
微睡んだ街、死の気配。
やかましい静寂。
白昼の逃避行。
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