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日本のゲーム大国とeスポーツ後進国の謎:歴史的背景を解明する|よしぺん講義メモ「eスポーツの歴史」①

日本はゲーム大国なのに、なぜeスポーツ後進国なのか?
歴史的背景を紐解く

日本は、ゲーム市場の規模と技術力、豊富なゲーム文化で「ゲーム大国」と称されます。一方で、eスポーツに関しては、未だに後進国といわれることがあります。
「eスポーツ元年」とされる2019年以降、急速にeスポーツを発展させる機運は高まってきており、オリンピックでeスポーツ開催などの注目されるニュースも続いています。
しかし、僕は海外と日本で語られる「eスポーツ」、またその盛り上がり方には、大きな違いがあるように感じてますが、これは海外(特にアメリカ)と日本でのビデオゲームや、eスポーツの発展の仕方が異なってきたからでした。
アメリカではコンピュータ技術の発展とともにeスポーツが発展してきたのに対し、日本では家庭用ゲーム機の普及が大きな役割を果たしました。

この背景について深掘りし、アメリカにおけるコンピュータとeスポーツの歴史と発展を振り返ることで、現在のeスポーツシーンの理解を深めていきましょう。

世界初のゲームマシン:「エル・アヘドレシスタ」

世界初のゲームマシンは、1912年、スペインの発明家レオナルド・トーレス・ケベードが開発した「エル・アヘドレシスタ」(スペイン語で「チェスプレイヤー」の意)とされています。
これは電気式のオートマター(自動人形)で、磁石を用いた電気センサーで駒の位置を検知し、次の一手を計算して自動的にアームを動かして駒を移動させるチェスゲームの完全自動装置でした。


ゲームの理論的研究

○×ゲーム(三目ならべ)のような相互手番制の思考ゲームの攻略手順を数学的に分析するゲームの理論的研究も古くから行われています。
記録では、1844年にイギリスの数学者で「コンピュータの父」と言われるチャールズ・バベッジが、○×ゲーム(三目ならべ)をプレイする興行用のオートマターの製作を構想したと言われています。
1901年には、アメリカのハーバード大学のチャールズ・ボウトンが、中国発祥の数取りゲーム『ニム』の必勝法を数学的(二進数演算)に導き出しました。1933年には、ニューヨーク万博で『ニム』をプレイできる機械「Nimotron」が出展されました。

コンピュータゲームの祖「Tennis for Two」

1958年、アメリカの原子力研究機関・ブルックヘブン国立研究所が「Tennis for Two」という、オシロスコープを表示画面に転用したアナログコンピュータゲームが、「世界初のテレビゲーム(ビデオゲーム)」と言われています。
これは、地元住民の原子力への不安の払拭を目的に毎年秋に開催していた研究所の一般公開が行われていたが、写真とその説明のポスター掲示と退屈な内容だったことから、楽しみながら理解してもらうために開発されたものとされています。
遊ぶために何時間も並ぶ人まで出たとのことです。
なお、このゲームの開発に携わったヒギンボーサムは、後に日本に原子爆弾を落とすことになる「マンハッタン計画」にも関わっていた人物です。

軍事目的に開発された汎用デジタル式電子コンピュータの登場

いわゆる現在のコンピューターの祖先が誕生したのは、第二次世界大戦時の1940年代です。
1941年、アメリカのアイオワ州立大学で「ABC(アタナソフ&ベリー・コンピュータ)」が稼働しました。
1942年にはイギリスで暗号解読機『Colossus』が開発され、1946年にはアメリカがENIAC (Electronic Numerical Integrator and Computer)を大砲の弾道計算用として開発しました。
これらのコンピュータは、第二次世界大戦中に軍事用途として開発されたものでした。
その後、巨大なメインフレームを持つ大型コンピュータ全盛期が続くが、1960年に、研究室や設計室などの環境で使用できる『ミニコンピュータ(ミニコン)」として、DEC社からPDP-1が登場した。
このPDP-1というミニコンピュータは、1962年にMIT(マサチューセッツ工科大学)に寄付されたことにより、ハッカー文化を生み出したと言われています。

世界初のeスポーツ大会:「スペースウォー!」

同年、MITに寄付されたPDP-1を用いて、スティーブ・ラッセルという学生が開発した「Spacewar!」というゲームを、学内年次科学セミナーで発表しました。
これは、世界初のシューティングゲームとされ、史上初のゲーム専用コントローラーが製作され、パブリック・ドメイン・ソフトウェア(オープンソース)として無料で配布されました。

このゲームは評判となり、全米50カ所に配置されていたPDP-1に広がることになり、ついには1972年10月19日にアメリカのスタンフォード大学で「Spacewar!」の大会が開催されました。
これがコンピューターゲームによる最初の競技大会、eスポーツの始まりと言われています。
この大会には、24名のプレイヤーが参加して、大会の優勝者には、Rolling Stoneの1年分の定期購読が賞品として贈らたとのことです。
なお、世界初のビデオゲームトーナメントとして、ギネスの世界記録にも認定されています。

こうしてアメリカでは、コンピュータや情報技術、デジタル技術、ネットワーク、人工知能(AI)などの学術研究の副産物として、ビデオゲームやゲーム大会(eスポーツ)が誕生し、相乗的に発展することになります。

つづく。

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