理想の保育を考えるために、理想の世界を考える(1)

この前こんな記事を書きました。

この中で、「押し付けなしの保育」というものは存在しないということ、それはある意味「暴力」と同じ構造をしているということを書きました。

一番簡単な例で言えば、私たちが保育の中で子どもたちに日本語で話しかければ、子どもたちは「拒否することができない」ままに日本語を習得していきます。もしかしたら、その子は英語を母国語にしたかったとしても、その思いは無視されて、日本語で私たちは子どもたちに話しかけているのです。

このように、保育の中で「当たり前」とされていることでさえ、実はなにかを押し付けているのです。けれども、私たち大人は子どもに押し付けなしに接することはできません。そのことを私たち大人は自覚した上で、子どもと接する必要がある、そのようなことを書きました。

そこで、私たち保育者は「どのようなことであれば押し付けてよいことで、どのようなことは押し付けてはいけないのか」ということを、本来は真剣に考えなければいけません。言い換えれば、「理想の世界像」をしっかり言語化し、その実現のために「無条件に押し付けてしまってもいいもの」を明確化する必要があるのです。

前置きが長くなりましたが、「理想の保育を考えるために、理想の世界を考える」というこの記事を書こうと思った背景は以上のとおりです。

今回は導入だけになりますが、私なりに探求を進めながら更新して行こうと思います。不定期になるかもしれませんが、よければマガジンに記事をあげていきますので、続けて読んでもらえればと思います。

応援していただけると嬉しいです!これからもステキなエピソードをお伝えしていきたいと思います♪