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僕がCallaway Golfで学んだこと<最高の人材を雇う編>

"Hired the best people in the industry"
<事業に最高の人材を見つけ雇う>

キャロウェイゴルフの創設者であるイリー・キャロウェイ(以後イリー)はどのような事業においても、その業界のトップを目指すならそれにふさわしい人材が必要で自分一人でなんでもこなすことは事業経営において不可能であることは十分に理解していました。
僕が本当にすごいなと思ったのはイリー独特の人の見つけ方、雇い方です。基本的な考え方としてイリーはこのように言っていました

ビジネスチャンスを見つけたら、
やるべき仕事に最適な人間を探し出し、
自分のやりたいことを伝え、
一緒に仕事をしようと口説き、
その人を雇い入れ、

やるべき仕事の全てをその人物に任せることである。
もし、それができるなら
事業を始める前に70%は成功したと言える

現在、一般的には人材が必要になった時、外部の人材バンクやヘッドハンティング専門の企業に依頼して、事業や仕事に最もふさわしい人を紹介してもらい、面接などを経て採用というケースが多くみられます。
雇われる側も、現在の仕事と比べて自身のキャリアアップや収入、待遇がより良いところを探しているから人材バンクなどに登録しています。
このようなやり方は基本的には条件面の摺り合わせとなるために、さらに良い条件が見つかるとそこに移る可能性もあります。
リスクが常に伴うものです。

イリーのやり方は仕事においてキーマンとなる人材を確保するにはその業界で最も良い仕事をしている、もしくは良い仕事をする可能性が極めて高いと思われる人が誰なのかを調べ、その人のところに直接出向き「あなたが必要です。一緒に仕事をしよう」と切り出すのです。
切り出された相手はそれこそビックリ仰天ですよね。初めて会った人にいきなり「一緒に仕事をしてください」などと言われても困惑するだけです。

なぜ、そのような破天荒なことをするかといえば、イリーにはそれなりの勝算、考え方があったからです。
どのような考え方かといえば、その業界でトップレベルの仕事をしている人はその仕事に自信と誇りを持っている。しかし、自分で経営や起業していないのであれば、100%自分の思い通りにはできていないだろう。彼らはもっと自由にやりたいことがあるはずで、それが実現できるなら、来てくれる可能性はゼロではない、というものでした。

多くの人はそのような人は現在の仕事に満足しているので、他社に移る可能性はほとんどない、と考え転職の話は持っていかないケースがほとんどだと見ます。
イリーのやり方と一般的なやり方はまさに恋愛結婚とお見合い結婚みたいな感じでしょうか? 恋愛の方がリスクはありますがワクワク感は大きいですよね。あなたならどちらを選びますか?
では具体的にワインビジネスとゴルフビジネスにおいて、どのように優秀な人材を見出し、雇い入れて一緒に仕事をし、成功して行ったのかが知りたいポイントですよね。
今回は人材発掘のことだけに少し文量が多くなりました。語るべきSTORYとして必要だと考えたからです。お付き合いいただければ嬉しいです。

ワインビジネスにおける人材発掘
ワインビジネスで最も重要な作業は2つあります。一つは最高品質のワインのためのブドウの育成です。もう一つはそのブドウを醸造してワインという作品に仕上げる作業です。
全く何もないところからブドウの苗木を植えていく作業から始めるわけですからその土壌にあったブドウの種類、育成方法を決定して最初の収穫を経て行きますが、いくら優秀な人材がいたとしても最初から狙った品質のものはできません。時間とその場所での経験が必要だからです。
その土地の天候、土壌、ブドウの育成状態を注意深く見ながら最適な条件を見出して良質のブドウを収穫していく過程が必要です。少なく見ても数年はかかるものです。
つまり、最初に必要な人材は最高品質のブドウを育成できる人材です。この土地の特性を理解して、どのような品種のブドウを育成すれば良いかを知っている人間です。イリーの知る限り、テメキュラに移り住みこの土地の管理を任されていたジョン・モラマルコしかいなかったのです。
イリーはジョンがこの場所で最高のワインを作りたいという情熱を感じ取り、土地購入の契約が終了した時点で、「ジョン、君にこの土地で最高のワインを作るためのブドウを育成して欲しい、その責任者としてあなたを雇いたい」と言って雇用契約を結びすぐに仕事にかかってもらったのです。

最初に収穫したブドウをナパにあるワイナリーにイリーが直接購入してもらえる交渉に行ったのですが、南カリフォルニアで取れたブドウは良質なものはないという固定概念からか、ほとんどのワイナリーで購入を拒否されたのです。最終的にはあるワイナリーに買ってもらったのですがブドウの収穫場所と醸造場所がワインの価値を決めている現実を知ることになったのです。最初の数年は自作のブドウでどのような品質のワインができるのか、どのような品質のブドウを作れば醸造家は喜んで使ってくれるのかを知りたかったのです。

ナパに行く目的はもう一つ重要なものがありました。
自前のワイナリーを作るために最高の醸造の専門家を見つける作業です。ワイナリーの醸造担当者達と話をしているうちに老舗のワイナリー、ロバート・モンダビで良い仕事をして実績を積み上げているカール・ワーナーというドイツから来た醸造のスペシャリストがいることは聞いていました。
別の調査でもカール・ワーナーは高い評価を得ている人物であることはわかっていたので、彼をスカウトするために会って話をするために自らナパに来たのです。

ここでイリーがさすがだなと思った点がありました。それは裏でスカウトの話を進めるのではなく、まず雇い主のロバート・モンダビに会って、カールをうちのワイナリーのために譲って欲しい、と談判したのです。
ロバート・モンダビはアメリカのワインを普及させようと積極的に活動している人としても有名で、その活動のひとつとしてカリフォルニア州立大学バークレイ校に醸造科を作り科学的にそして学問的にワイン造りを普及する基礎を築いたのです。
今やこの醸造科には世界中から醸造家を目指す若者が学び、世界各地で良質のワインができるようになったのはロバート・モンダビの努力があったからだと言えるのです。
その彼が、自分の右腕ともなるカール・ワーナーを譲って欲しいと言ってきたのですが、無下に断ることもせず、カールと昼食をする機会を作ってくれたのでした。懐が本当に深い人とはこのような人のことを指すのですね。

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カールとの昼食の時、イリーは自分がやりたいことをストレートにぶつけました。もちろん彼独特の熱く語ったに違いありません。
しかし、その時はすぐに返事はもらえなかったのです。 半ば諦めかけナパを去る時になってカールから「モンダビとの契約はあと半年残っているが、それが終了したらテメキュラに行っても良い」と言ってきたのです。
モンダビにその話をすると「彼がそのような意志を持っているなら私はあえて止めることはしない。カールがしたいようにすることが良い」と言ってカール・ワーナーの移籍が決まったのです。

半年後、カールが来ることからイリーはワイナリーとしての醸造施設を作るために銀行に融資を求め、最新の設備を備えたワイナリーを完成させ、社名を正式に<Callaway Vinyard & Winery>として本格的にワイン造りにシフトして行ったのです。

カール・ワーナーはテメキュラに来てから、近くの牛舎を訪れては牛の糞を分けてもらいその総量はなんとトラック600台分にもなり、これをブドウの木の周りに肥料として埋めていったのです。
ジョンとカールの渾身的な作業の結果、翌年のブドウの品質は格段に上がっり、その後数々の賞を受賞するレベルまで準備が整ったのです。

専門家でない人間が、業界でトップレベルの仕事をするにはやはり優秀な人材をいかに見つけて雇い入れ、思う存分に仕事をできる環境を整えることに徹しきれるかだと思います。

ゴルフビジネスにおける人材発掘
ゴルフビジネスで鍵となるものは画期的なゴルフクラブを開発できる人材とそれを確実に販売できる人材です。
ここでもイリーは優秀な人材を独自の視点と情熱で獲得したのです。

ブルース・パーカーという若きセールスマン
小さなゴルフメーカーのオーナーになったイリーは画期的な製品の開発を考えていたのですが、思うような販売ができず開発もまた頓挫していたのです。
そんなある日、一人の若いゴルフ用品のセールスマンとゴルフをすることになったのです。彼の名前はブルース・パーカーといい高校を出て大学には行かず生活のためにゴルフ用品のセールをカリフォルニア地域でしていたのです。

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ブルースはイリーに「新しいクラブメーカーを買ったらしいけど、実績はどうですか」と聞いたところ、イリーは「だいたいこのくらいだ、もう少し売れると思っているのだが」と答えたところ「そのくらいの販売数量なら、俺なら1日で売ってみせるよ」と言ったのです。
その時は若造だけあって大口を叩くやつだな、と思っていたのですが、「本当にそれができるのならセールス活動を見せて欲しい」と連絡したのです。後日、会社に来たブルースは、自分の顧客リストから順番に電話をかけ、1日で約300件のゴルフショップに連絡して注文を実際にどんどん取っていったのです。キャロウェイゴルフとしてはわずか1日で大きな売り上げを達成したのです。
電話でビジネスができることを目の当たりにしたイリーは「これからのビジネスはテレマーケティングが大きな力を発揮する」と考え、ブルースに「うちで働いて欲しい、営業の責任者として」と雇用契約を結んだのです。

当時インターネットが普及し始めた時期とも重なって、コンピューターで顧客管理をしながらテレマーケティングができるシステムをブルースと一緒に構築し、小さな会社でも独自のセールスシステムを持つことができるようになったことは次なる飛躍の基礎となったのです。

その後、1989年から1997年までの10年間は毎年、前年対比2倍の営業実績を積み上げていったことは凄いの一言では済まされないものでした。
ブルースとそのチームの実力が発揮されたのですがその素晴らしい成長の元となったのは次々と開発される画期的な新製品でした。

リチャード・C・ヘルムステッターというゴルフ界のエジソン
イリーとリチャード・ヘルムステッター(以後RCH)との出会いも偶然に近いものがあったのですが、僕は偶然と思われることは、準備をしてきたものが半ば必然的に起こる事象だと思っています。ブルースやRCHとの出会いを見るとそう見えるからです。
RCHはのちにゴルフ界のエジソンと言われるくらい数々のヒット商品を開発しただけでなく、開発に伴う特許もほとんどが彼の名前で出願されているからです。そのような人材をどうやって見つけ出し雇うことができたのかがイリーらしさなのです。

ここにも興味深いエピソードがあるので紹介します。
出会いもやはりゴルフ場でした。ビリヤードのキューを日本で製造し世界に販売していたRCHは冬の寒いシカゴで行われているビジネスショウの帰りに暖かいカリフォルニアによってゴルフをしてから日本に帰るのでゴルフ場の予約を知り合いのプロゴルファーに頼んだのです。
彼はイリーとも面識があり、彼と一緒にプレイをしてもらうことにしたのです。当時イリーはゴルフクラブでいくつかの問題を抱えていました。それはヒッコリーという木をシャフトにするのですが、その木の中をくり抜いて金属製のパイプを組み込んだものをゴルフ用のシャフトとして採用していました。しかし、クラブヘッドとシャフトを接着するところでヘッドが抜けたりした問題が発生してどのように処理したよいか悩んでいた矢先でした。
ビリヤードのキューも木製ですが、いろいろなパーツを組み合わせて製造するため高い接着技術や木工の成形技術があって初めてできるものでした。
プレイの終了後、イリーの工場を見せてもらったRCHは専門家として、問題点を指摘し、その解決方法を教えて日本に戻ったのです。

しかし、実際にその解決方法で処理しても新な問題が出たことから、国際電話でその都度、どのようにしたら良いかのアドバイスを求めたのです。RCHは最初のうちは丁寧に答えていたのですが、ビリヤードの有力顧客から電話がいつもお話中で注文ができない、というクレームが増えてきたこともあり「もう2度と電話をかけないでいただきたい。あなたの仕事はあなた自身で解決してください」とRCHは最後通告を出して電話を切ったのです。

ことの重要さを感じ取ったイリーは顧問弁護士を携えて日本のRCHのビリヤード工場まで押しかけてきて「あなたが必要だ。Noという返事をもらいに来たわけではない。ぜひ私と一緒に仕事をして欲しい」と直談判を始めたのです。ゴルフクラブの開発など全くの未経験者であるにもかかわらず、彼こそ自分が求めているものを作り出してくれる人物だと信じて、日本まで来たのでした。それにしても凄いことですよね。

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RCHも最終的にはイリーの申し入れを受け入れて、ビリヤードの工場と製造販売の権利の全てを3人の日本人技術者に譲ってアメリカに家族とともに戻って新な仕事に就いたのです。
イリーはRCHに「ゴルフに関するものであれば何をしても良い」と伝えてゴルフクラブ開発の経験を積ませたのです。エンジニアであるRCHはゴルフに関する物理的なものをUCサンディエゴの物理学の教授たちから学び始めて、クラブ開発の基礎を身につけてイリーが求める画期的な新製品をそれこそ、矢継ぎ早に生み出していったのです。

RCHに「経験もないのによく決断しましたね」と聞いたところ、私はゴルフがどうのよりかイリー・キャロウェイという人物に賭けてみた、そう投資をしたという表現が正しいと思う。彼の実績から、この人と一緒に仕事をするととてつもないことが起こる、そんな気がしたからだ」と答えてくれたことがとても印象的でした。
後談ですが、キャロウェイゴルフに入ってから1年間くらいは給料らしきものはもらえなかったそうです。妻には「話が違ったわね」と笑いながら当時を振り返って話しをたそうです。

人こそ会社の最大の財産
業界で最高の人間を見つけ出し雇うこと、はそれなりの処遇を用意してから話をするのが普通ですが、小さな会社にはそれだけの財力があるわけがなく、イリーはどうやって最高レベルの人間に処遇を提案したのかといえば、「この仕事はあなたしかできない。誰もやったことのないことを一緒にやりたいと夢を熱く語り、会社の経営状況を理解してもらい、お金以上のやりがいを話したのです。そしてお金に変わるものとして株券(まだ価値がない)を渡して、「将来この株券を上場することで大きな価値あるものにしよう」というこれまた信じられないやり方で最高の人を引き寄せたのは、イリーの持つ不思議な力と情熱がそうさせたのだと思っています。
人材バンクなどに頼らず、自身の経験と人を見る確かな目を養い、市場の動きを注視しながら優秀な人材を確保していくことは起業する人にとってとても大切なことだと思います。
イリーのやり方こそ、このような時代に必要なもので王道である、と強くそう思うのです。 


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