故郷の訛りを文字にするということ
本業ではないライティングをしはじめて、もう何年かになる。
誰かにやり方を習った訳ではないから、何が正しいのか未だにわからない。
とは言っても、誰かに習うという気にもならない。そもそも、誰かに習うということが好きではないのだ。
だからその度ごとに、「これで良い」とか、「いや、ここはもう少しこうした方が良い」とか、かなり感覚に頼って記事を書いてきた。
上手くなるスピードは遅いかもしれないけれど、自分自身で気付き、修正していくというのは、なんとなく自分らしい感じがして良い。
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誰かに話を聞き、それを文字に変換する。
ライティングという作業は、はっきり言って誰にでもできる。ライティングをはじめる前も、今もそう思う。
けれど同時に、やればやるほど、その深さを思い知る。
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最近は、「聞き手」として、インタビュー中のニュアンスを、どのようにテキストに落とし込めるかということに気を留めていた。
「話し」というのは、通常、音声同士で行われるのであるから、それをテキストに変換するのであれば、当然ながら様々な要素が失われる。(音声以外にも本当は、顔の表情や身振りなどもあるのだけれど。)
何かを話して、また話し始めるまでの間。声の強弱や抑揚。話し言葉であるから、「てにをは」が正しくないこともあるし、同じ言葉の繰り返しが多かったりもする。
だけれど、それがその人らしさなのだ。
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今回インタビューさせていただいたのは、地元、函館の古い友人である。
だから、インタビュー中も、自然と函館訛りでの会話となった。
録音データを一回一回止めて、彼の話し言葉を出来るだけ忠実にテキストに落とし込む。
函館弁は「を」を抜くことが多いなとか。話しが乗ってくると、語尾に「さ」が多くなるとか。
そんなことに感心しながらテキストにしていく。こんなことを本職のライターの人はしているだろうかと思いながら。
だけれど、故郷の函館訛りを文字に置き換えていく作業は、愉しいものだった。
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思えば、ひょんなことから本業ではないライティングをはじめて、たまに何のためにこんなことをしてるのかと思うけれど、やってみると、その道はその道での深さがあって、新しい発見があり、なんだかこれも自分らしくて愉しいなと。そんなことを思った。
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