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小学生に曳かれてスポーツクライミング視聴;そして『属性』について考えた

オリンピックが終わりました。

いわゆる『日の丸を背負った』選手なら誰でも応援する、というタイプではないので、自分が経験したことのない競技の中継は普段からほとんど見ない。
『経験した』の中には、部活や趣味以外に、体育の授業で ── 程度の『経験』も入るのだけれど。
もちろんシロートではありますが、やったことのあるスポーツはそれなりに『勘所』がわかり、より楽しめるものです。
オリンピック競技をテレビで見たのは、サッカー、バレーボール、卓球、陸上(かけっこ)、ゴルフ……ぐらいでしょうか。

猛暑の中、自宅でPCキーボードを叩いていたら、預かっている夏休み中の女子小学生(低学年)がリビングのTVを点け、チャンネルサーフィンの結果発見したのが『スポーツクライミング』中継だった。
もちろん私もどんなものかは知っている。けれど、中継などをまともに視たことはない。
いや、そもそも、壁を這い上るこの競技名は『ボルダリング』だと思っていた。
そういえば、と思い出したのは、その前日、この小学生を連れて奥美濃の『牧歌の里』というテーマパークに行った時、彼女は遊具の中にボルダリングの壁を見つけて何度も這い上がりながら、
「**(自分のニックネーム)はねえ、ボルダリングでオリンピックに出るんだよ!」
と言っていたっけ。

やはり、「経験がある⇒視たい⇒応援する」なんでしょうね

こちとら、その競技にはほとんど関心がないので、ちらちら目を走らせていただけだったけれど、そのうち、彼女が、「この選手、頑張れ! この選手、頑張れ!」
と現在『壁』をよじ登ろうとしている男子選手を、国籍などは無関係に応援し始めた。
次の選手に対しても、
「この選手、頑張れ! この選手、頑張れ!」
とひとりで手拍子している。

(なるほど、小さい子には『日本人だから応援する』という《属性》意識は本来、ほとんどないのかもしれない
と思ったり、あるいは、
(誰であろうとも、はらはらしながら、
『(落ちないように)がんばれ!』
という気持ちになるのがこの競技の特徴なのかも

と思い直したりしているうち、仕事が手に付かずTVに釘付けになってしまった。
そして、(その時視ていた)『複合』競技は、『ボルダー』『リード』という2種目の合計で勝負が決まる、をはじめとする競技ルールも学習していった。

そのうちに、安楽宙斗そらと選手という17歳で高校生ながら日本の第一人者(ということをここで知った)が登場した。
この若さでインタビューにも落ち着いた受け答えをしていて、将棋の藤井聡太サンもそうだけど、若くしてトップに立つような人は何か違うな、などと感心する。

それはいいのだけれど、その番組では、安楽選手の登り方(という表現でいいのだろうか?)をホメようとする余り、別の日本人選手といくつかの映像で丁寧に(!)比較対照しており、
(うーむ。……実力の世界とはいえ、こんな風に ── まるで悪い例のように ── 自分の映像を出されたくないだろうな……)
とそちらの立場になって少々……。

その翌日だったか、小学生は、今度は女子の中継を見つけてやはり熱心に視ていた。私も今度は最初から釘付けである。
童顔の森秋彩あいさんが、『ボルダー』では登り始めから何度もトライ⇒失敗を繰り返し、自分の娘を見ているかのように心が痛む。けれど、どこまで登ったかを競う『リード』では会心の登りを見せた。

中継を見ながら、目の前の小学生を観察すると、男子の競技に対するのと比べて明らかに感情移入が大きく、おそらくは、
(自分もこんなことができるようになるだろうか……)
という意識も混じっているのだろう。
もちろん、小学校で「男子と女子に分かれて…」というような指導の結果でもあるからだろうが、生物学的な『性別』という属性は、より人工的な線引きである『国籍』に比べて、(幼い人たちには)はるかに帰属意識は強いのだろう。

今回のオリンピックでは、その『性別という属性』について議論になったケースがありましたね。

『白鯨』を書いたメルヴィルだったか、
「鯨は魚ではない、というのは誤りである。鯨は肺呼吸をする、特殊な魚なのだ」
と言い張った人がいたけれど、結局は『定義』の問題なのだ。
そして、運動競技に関しては、染色体で定義するのが一番明確な線引きになるのだろうな、と思う。

ただし、『社会性(社会的属性)』に関してはまた別の議論になります。
両者を混同しない方がいいでしょうね。

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