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すぐそこにある《多様性》 (SS;2100文字)

おい、ユウタ、起きなさい! ── 起きろ! 授業中だぞ!

「あう……。人が気持ちよく寝ているのに……あわわわ」

あわわわ、じゃない! まったく、午後の授業はたいてい居眠りだな。

「それはね、先生、ぼくの『遺伝子』がそうさせているんです。昼メシ食べた後は脳を休ませて消化に専念した方が体にいいんですよ。そうやって、ぼくの祖先は厳しい時代を生き延びてきたんです」

遺伝子だって? いいか、このクラスには生徒が34人いる。その中で寝ていたのは、ユウタ、キミひとりだ。

「先生、遺伝子の《多様性》って知ってる? 生物は『種』が同じでも、遺伝子のバリエーションはとても大きいんです。34という小さな『サンプル数』では統計学的に有意なことは言えないけど、本来優性だったはずの「昼メシ後は寝た方が子孫を残しやすい」という形質は、「眠いのを無理やり我慢した方が社会に適合して子孫を残しやすい」という形質に押されてるみたいだね ── もちろん、飢餓の不安が小さくなった、現代の日本人の間では、ということだけど」

よし、わかった。その遺伝子に従うのは休みの日だけにして、学校では目をあけて、ちゃんと授業を受けなさい。

「でも先生、全員が同じ行動を取る必要があるんですか? 遺伝子が多様なんだから、行動も多様でいいんじゃないですか? 生物の多様性を維持するためには、『多様性そのものが必要』と言われています。多様性って、気が遠くなるほど長ーい進化の歴史の中で作られてきて、|壊《こわ》すのはたやすいけど、再び作り出すのは難しいんです。歴史の中で何度も危機にさらされながら、なんとかぼくにまで受け継がれてきた貴重なこの遺伝子を、人類は失ってしまうかもしれませんよ」

遺伝子はキミの体内にあるんだから、昼寝を我慢するくらいじゃ失われないだろう?

「いえ、『食後の睡眠』を糾弾する、先生のその言動自体が、このクラスの女子の嗜好に影響して、ぼくを『繁殖相手』とは見なさなくなるかもしれません。先生は《価値観の多様性》をも否定しているんですよ。……ほらほら、女子がみんな冷たい目でぼくを見てる!」

やれやれ……女子だけじゃないけどな。
いくらなんでも、小学校5年で『繁殖相手』を決めるのは早過ぎだろう。

「それにね、先生、『種』が環境に適応するためにも、画一的な生物群よりも《多様性》を持った生物群の方が生き残りやすいんです。環境に変化が起きたとき、画一的なものは適応できるかできないかの二択だから、絶滅の可能性だってあるんです。多様ならば、どれかが適応して生き残る可能性があります。選択肢が広くなるからです」

授業中の居眠りが、なんで『種』が生き残るための多様性なんだ?

「例えば、この小学校で大きな地震が起きる ── とします。ぼくだけが居眠りしていて地震に気が付かない。ほかの子は起きてて授業を受けていたので、急いで裏山に避難する……」

だったら、キミだけ逃げ遅れて、その結果、キミの大事な大事な『食後睡眠』遺伝子は生き残れないじゃないか? 繁殖期を待つことなく、滅びていく。── 残念だったな!

「そうかもしれません。でも、ひょっとしたら、みんなが避難した裏山が崩れて、避難した生徒は全滅するかもしれません。寝ぼけたまま教室に残っていたぼくだけが生き残るかもしれないんです!

……かもしれない ── 確かにな。でもその可能性はきわめて低いぞ。

「低いけど、ゼロじゃない。大事なのは、多様な人間がいることで、『種』が生き残るための選択肢が多くなることです」

な……。

「重要なのはね、先生。ひとつの教室、ひとつの学校、ひとつの国、ひとつの地球 ── その中に、いろんな人間がいることなんです。全員が目をあけて授業を聞いているようなクラスはむしろ危険です! いろんな人間がいれば、地球環境が激変した時に、たとえば、ぼくのような人間の方が生き残りやすいのかもしれない」

う……。

「先生は今、その可能性をつぶそうとしている」

じゃあ……じゃあ……じゃあ!
先生側の《多様性》だって尊重されなきゃならないよな!
授業中の居眠りを見逃す先生もいれば、絶対に許さない先生もいていいはずだよな!
俺は絶対に許さない先生だ! どうだ、参ったか!

「やれやれ。わかってないな。先生はこのクラスを、いわばマネジメントする側でしょ? だから、《ダイバーシティー・マネジメント》を第一に考えなければならないはず」

ダ……ダダダダイバーシティー・マネジメント?

「そう、《ダイバーシティー・マネジメント》個人や集団間に存在するさまざまな違い、これが《多様性》だよね、それを否定するのじゃなくって、むしろ《多様性》を競争優位の源泉として生かすためのプログラムを作るのが仕事なんじゃないのかな。《多様性》を否定する《多様性》なんて存在しないよ」

あ……う……。

♪♪~♪♪~

「あ、終業のチャイムだ。……先生に邪魔されて、熟睡できなかったな、今日は」

な……な……。

「あ、でも、なんだか、ぼくを見る女子の目つきが変わったみたい。『食後の睡眠』遺伝子、かなり残せそうな気がしてきました! 先生のおかげかも!」

<初出:2022年7月30日>

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