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有名な《同姓同名》がちょっと迷惑な時

日本のとある学会に、ローマ字表記で《同姓同名》の先生(大学教授・准教授)が3人いました(うち2人は漢字も同じ)。所属組織は異なるけれど、大学を移る先生が多い海外から見ると、同じような研究をしている《同姓同名》は同一人物と誤解されます。

何度かそんな質問をされたのでしょう、そのうちのひとりが、講演の前振りジョークで、
「私の原著論文数はN件だが、3人合わせるとM件になる。だから3人とも、論文数はM件です、とそれぞれ言い張っても、誰も見破られないでしょう」
と言って笑いをとっていました。
(まじめな顔で話したため、誤解して怒っていた人もいた)

《同姓同名》は赤の他人であるにも関わらず、妙に気になります。
凶悪犯罪を犯した人物が自分と同じ名前だったら、ほとんどの人は不快を感じるでしょうね。

その逆の場合、たとえば「大谷翔平さん」がいたとしたら、小学校の点呼だったり仕事上の名刺交換だったりのたびに、
「おおっ!」
と注目を浴びることになる。
それをプラスと考える人、迷惑と思う人、様々でしょうね。

別アカウントに書いた記事ですが、田中角栄氏が政治の階段を駆け上がり、「庶民宰相」ともてはやされた時、とある「田中」家に生まれた男の子が「角栄」と名付けられ、やがてこの名前には強い《逆風》が吹いたため、一家は家庭裁判所に「改名」を申請しました:

この記事を書いた時、匿名アカウントでは書けないネタがありました。

私の名前は母の兄妹(8人)のうち、もっとも優秀だったが夭折した長兄の名前をもじって付けられました。
そして、小学校に行き始めた頃から、《同姓同名》を頻繁に目にするようになります。

学習研究社(学研)から出版されていた学習雑誌で、「*年の学習」と題するシリーズがありました。

この月刊誌には必ず各学年の児童向けに連載小説が掲載されており、たとえば山中恒さんのような著名な児童文学者が執筆されていました。
この連載小説の挿絵がたいてい、「谷俊彦さん」でした(こう書くと、自分に「さん」付けしている妙な気分):

画家・イラストレーターである「谷俊彦さん」の仕事量は膨大で、私が通っていた小学校の図書室にある児童書の20%ぐらいはこの人の《表紙画 and/or 挿絵》だったのではないかと思います。

たとえば、こんな名作の《表紙画/挿絵》:

「谷俊彦さん」(と書くと自分でも変な気分)の特徴がよく出ています

伝記シリーズも手掛けていました:

大谷さんもそのうち、伝記シリーズになるのでしょうか?

江戸川乱歩の「少年探偵シリーズ」の挿絵もこの人だったし、富島健夫さんの青春小説の挿絵も手掛けています。
一番有名なのは筒井康隆「時をかける少女」の単行本表紙画/挿絵でしょうか:

アマゾンでは、この本の著者は「筒井康隆、谷俊彦」になっています。

雑誌や単行本を開くと出てくる「自分の名前(もちろん違う人物ですが)」には特に悪い印象はありませんでした。なんといっても私自身、「谷俊彦さん」の挿絵が好きだったからで、小学校の頃は、雑誌を開いては、
「お、また《オレ》が描いてるじゃん」
などとつぶやいていたくらいです。

有名人ではありますが、田中角栄氏や大谷翔平さんとは異なり、一般にはほとんど知られていません。いわゆる「著者」の横に小さく「絵:谷俊彦」と書いてあっても、小学校の級友たちもほとんど気に留めませんでした。

この画家/イラストレーターの「谷俊彦さん」が気になり始めたのは、ネットで「Wikipedia」やそれに類したサービスが始まってからのことです。

自分が関係した小説や映像作品の説明にある「谷俊彦」のリンクをクリックすると、どれもみな、画家/イラストレーターの「谷俊彦さん」に行き着くのです。

「まあ、どうでもいいか」
と最初は思っていましたが、やはり気になる。
「別人だから」
というようなコメントを付けてリンクを取り消したこともありましたが、しばらく経つと、やはり画家/イラストレーターの「谷俊彦さん」にリンクが貼られている。

広い世界にこの「リンクミス」を気にするのは自分だけだ、とは思うものの、やはり、自分の名前と関わる「ミス」は、愉快とは言えません。

もちろん「谷俊彦さん」に責任は一切なく、おそらく自動的にリンクを貼っていくシステムなのか、あるいは誰か親切な第三者が「よかれと思って」やってくださるのでしょう。

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画家/イラストレーターの「谷俊彦さん」は2011年に89歳でお亡くなりになりました。

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