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すぐそこにある《所見欄》 (関連エッセイ;1500文字)

児童会長に立候補したユウタくんには、どうやら対立候補の岸田君よりも強力な敵が現れたようです。

岸田君が「絶句」した後、せっかく全校生徒からの質問を受けていたのに、先生たちからディベート(というより、ほぼ「独演会」ですけどね)中止を命じられ、マイクも取り上げられてしまいました。

「……あ! 教頭先生! まだ話は終わってません!
── <中略> ──
あああっ、まだ言い足りないのに! 通知表の『所見欄』についても……ああああっ、マイク返してっ……」

「すぐそこにある《ヴィジョン》」より

ユウタくんがこの後話したかったことって、何だったのでしょうか?

まずは彼がこれまでに受け取った通知表の《所見欄》を見てみましょう。ほぼ次の3種類のどれか、あるいはこの全てが書かれていることが多いようです。

➀ 屁理屈をこね、周りの人間を困らせる。
➁ 気が散りやすく、落ち着きがない。
➂ 居眠りが多く、授業を聴いていない。

どうしてわかるかって?
そりゃ、わかりますよ ── 自分のことのように。

➀➁➂の記述のいずれにも、ネガティヴなトーンがあります。もっとはっきり言えば、《悪意》── というのは言い過ぎとしても ── 《批判》的なのは間違いありません。

➀ 屁理屈をこね、周りの人間を困らせる。
(そりゃ、そうだろ!)
これまでの「すぐそこにある」シリーズを読んでそう思ったあなた、ちょっと待ってください。
ユウタくんは「きわめて論理的に話す5年生」ですが、それを教師たるものが「屁理屈をこね」との表現で一方的にダークサイドに押しやるのはどうでしょうか?
それに、彼が困らせるのは、教師や一部のスノッブな児童であり、「周り」の人間を困らせているわけではありません。
岸田君の「みんな」表現と同じたぐいの「すり替え」がここにあります。

➁ 気が散りやすく、落ち着きがない。
別アカウントのプロフィール欄に書きましたが、私は小学校6年間、通知表の《所見欄》にこう書かれ続けました。
あまりに毎回書かれるので、親もすっかり「麻痺」して気にしなかったくらいです。── いやいや、
「こんなこと、わざわざ書かんでもわかっとる!」
と言ってたかな ── そりゃ、毎日息子を見てますからね。
本人ももちろん平気でしたが、もしこの《所見》にショックを受けて、
(……気が散ってはいけない、いけない、いけない、ああ!)
と心を病んだら、担任は責任をとってくれるのでしょうか? そもそも、こんなこと書いて「治る」(という言い方はよくないな、「変化が起きる」)と思ってるのでしょうか?

➂ 居眠りが多く、授業を聴いていない。
これは《多様性》のエピソードで出てきましたね:

これには私、中学時代に悩まされました。
いや、昼食後に眠気を我慢できない自分に ── ではなく、幸せに眠りこけている私を起こそうとする教師、さらには、問題を出して眠っている私に当て、恥をかかせようとする教師に。
それに、「授業内容が頭に入っていない」ならわかりますが、「授業を聴いていない」こと自体を問題視するのは、生徒のためというより、教師としてのプライド重視をうっかり吐露したようにも思えます。

さて、ユウタくんはこう言いたかったのだと思います:
「所見欄にはポジティヴな表現を使ってください!」

例えば、
➀ 頭脳明晰で論理思考。
➁ 好奇心旺盛で何事にも興味を持つ。
➂ 授業中、周りに迷惑をかけることなく、静かに休息が取れている。

うーむ、➂は少々無理がありますかね……。

でも、
Let's look at the bright side!
(良い方向で考えよう!)
子供はホメて育てろ、って言うじゃないですか!

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