言葉の魔法:ラーメン屋台とキッチンカー
おそらく、今の名古屋駅しか知らない人には想像ができないと思いますが、私が学生時代に帰省した際、あるいは会社員生活を始めた頃に出張先の東京や京阪神にから戻ってくると、駅前広場(というより歩道に近い)にはラーメン屋台が出ていました。
いや、ラーメンというより、中華そばと呼んだ方がフィットする、ナルトと薄い叉焼が浮き、刻みネギがアリバイつくりのように散らばった、典型的な醤油ラーメンでした。
たいてい新幹線の中でビールか酒を呑んでいるので〆に何か口にしたいところに罠をしかけているわけです。
朝ドラ「まんぷく」の屋台ラーメンや「ブギウギ」のおでん屋台に出てくるような背もたれのない長椅子に座り、食べたラーメンは確かにうまかったのですが……金を払って席を立つと、オヤジは呑み残した汁を大きなバケツに捨て、空になった丼を水の入った小さなバケツでジャブジャブと軽く濯ぎ、次の客に備えるのでした……。
その光景を、食べる前に(注文する前に)見せられるのと、食べた後で見せられるのとでは、客の意識はかなり違ったことでしょう。
特に腹痛などおこした記憶が無いのは、熱湯殺菌のメカニズムなのか、そもそも鉄の胃袋を持った人間しか屋台には座らなかったのか、あるいは、そんな生活から逆に多くの免疫を得ていたからなのか……。
そして、当時はそんなことを思わなかったけれど、あの屋台は国鉄の正式は許可を得ていたのだろうか? それとも、その筋の組織にショバ代を払って出店していたのだろうか?
さて、今や屋台は、名古屋駅前からも、せんべろの街・今池からもいなくなりましたが、その代わりに『キッチンカー』があらゆる場所に出現しています。繁華街にも、観光地にも、それどころか近所のスーパーマーケットの駐車場にもクレープ類のキッチンカーが出店している。
あの『キッチンカー』というのは『屋台』の《言い換え》なんだろうか???
江戸噺の『時そば』を英訳するとしたら、蕎麦屋の『屋台』は『キッチンカー』なんだろうか?
── そうかもしれない。
日本語のフシギのひとつに、英語で発すればなんだかファンシーな響きになる、という《魔法》がある。
『窯業』と『セラミックス』、『材料』と『マテリアル』を実例として挙げたことがあります:
一方で、飲み屋街として、『屋台村』と称する施設がありますね。たいていは、かつての屋台に似せた背もたれのないカウンター形式の小規模居酒屋が、ひとつの建物の中に集合している。
あれは『キッチンカー・ヴィレッジ』ではマズいでしょうね。わざわざ『屋台』として、本物を体験していない世代にまでノスタルジアをかきたてる仕組みでなければならない。
いやいや、もっと一般化して考えてみよう:
① 今や絶滅した古臭い概念/形態を、『屋台』⇒『キッチンカー』のように言葉の魔法で復活させるビジネス
② 絶滅した故に懐かしさをかきたてる概念/形態を、『屋台』⇒『屋台村』のように、呼称と雰囲気を拝借した新形態ビジネス
日本の近代史を紐解いて、絶滅した概念/形態を探し出し、①か②の手法で新しいビジネスを創出することができるのではないでしょうか?