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うさぎ年に穂の国で干支の名を頂く神社に

わざわざ遠方から電車や車を使って行くほどの情熱はないけれど、近くにあれば立ち寄りたい、というのが、その年の干支えとに関わる名をいただく神社だったりする。

名古屋市北区の「羊神社」は、ひつじ年の正月、参詣客で大いに賑わいます。8年前の元日に行きましたが、長さ50 mほどにもなる初詣待ちの列ができていました。

名古屋市西区には「伊奴いぬ神社」があり、もちろんいぬ年には一層賑わいますが、そうでなくても「安産祈願」の家族がひっきりなしです。

さて、今年は卯年、うさぎの年です。
5月の終わりに豊橋に行く機会があったので、目的地近くにあるウサギのアタマを頂いた『菟頭うがしら神社』にお参りしてきました。

参道が「下って行く」のは珍しいのだとか

ここに来るのは2回目ですが、田舎の細い道を行くので、前方から対向車が来ないかとひやひやです。
駐車場も(たぶん)ありません。
なんとか2台分停められそうな場所に停めましたが、実はダメよ、かもしれません。
この神社の関係者にお聞きした話では、昨年、東海地方の旅行雑誌から翌年の初詣特集記事にと取材申し入れがあったそうですが、道路&駐車キャパに限りのある所に観光客が押し寄せては氏子でもある住民の方々がお困りになる、とお断りしたそうです。
ならば、ここにも書かない方がいいのかもしれませんが、この「草冠の菟」の字について、少々調べたら、書きたくなってしまいました。

菟頭神社の由緒書には、三河国内神明帳(平安末 or 鎌倉初め)に「従三位寅之大明神 坐渥美郡」とあり、トラと記載したものを後人がトヽフ(トトフ)と誤読し、トに「菟」をあてトフに「頭」の文字をあて「菟頭」と書くに至ったとありました。

なぜこの「菟」字?

菟頭うがしら神社』については、神社仏閣と兎の関りについて研究されている『神兎研究会』のHPに詳細なレポートがありました:

祭神は、「月」を神格化した、夜を治める月読命ツクヨミノミコトということでした。
「菟頭」は当て字だったようですが、なぜこの字を当てたのでしょうか?

鬱蒼とした森の中を進む参道
境内の鳥居
社殿の周りも森です
境内はけっこう広いです
本殿。あちこちにウサギが彫られています

この「草冠の菟」の字をいただく神社が、隣の豊川市にあります。菟足うたり神社、白鳳15年(686年)の創立で、東三河では最も古い神社だそうです:

この菟足うたり神社が祀るのは菟上足尼命うなかみすくねのみことです。

この一帯は神武東征の西暦300年から350年頃にの国の国造くにのみやつこが中央政権から入国し、その国造が高巣鹿之別王たかすかのわけのおおきみで、その後西暦500年頃に大和朝廷側の武内宿禰の子孫菟上足尼命うなかみすくねのみことが入国し、穂の国中枢部豊川流域に治所を構え、菟足神社のある辺りを都への主要道が通っていたそうです。

穂国ほのくにというのは、現在の豊橋・豊川を中心とした、渥美半島を含む東三河に存在した国です。穂国造ほのくにのみやつこに治められていましたが、大化の改新後に三河国(もともとは西三河地方のみ)と合併させられます。

明治時代に愛知県として統合された後も尾張地方と三河地方では気質や言葉が大きく異なりますが、1400年近く前に統合された東三河と西三河も文化的差異があるそうです。

── ということで、「草冠の菟」の字は穂国造ほのくにのみやつこつまり、この地方のいわば「王様の名前」にルーツがあるようです。

一方、『菟頭うがしら神社』の祭神・夜を治める月読命ツクヨミノミコトの方もロマンがありますね。

古代にあっては、「月を読む」つまり「月の満ち欠けや運行を観察する」ことは季節の移り変わりを予測し、農業を円滑に進めるために重要だったのでしょうね。

ところで、菟頭神社の方にお聞きした、《穂の国》の独自性に関わる一番の《なるほど案件》は、

渥美半島、特に太平洋側は伊勢の影響感化が強く、西三河(元々の三河国)とは文化が違うかもしれません。

なるほど、地図を見てみると、渥美半島の伊良湖岬って、西三河の岡崎や尾張名古屋なんかより、ずっと伊勢志摩に近いんだよね!

答志島でワカメ加工ボランティアをした時、伊良湖岬はすぐ近くに見えた

私たちは今、「陸の道」ばかり考えがちだけど、古代、「海の道」はとても重要だったんだ!

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