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「戦車」を見に行く [2/2]
4/2の自衛隊守山駐屯地桜フェスティバルの見学レポートその2です。リアル「戦車」を見るのが主目的です。
[1/2]では、展示してあった、61式と74式の戦車、高射砲、運搬車を紹介しました。
キッチンカーなども出ており、水を飲みたくなる来場者もいますよね。そこで、1トン水タンクトレーラーから水を汲むことができます。
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右は「自衛官の心がまえ」。心がまえの1番は「指名の自覚」。
その次の「個人の充実」これも現代は(リクルートの面でも)大切ですね。
Tシャツは¥3.000
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でもやはり、陸上自衛隊の駐屯地のせいか、人気はイマイチでした。
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戦車型の安全滑り台。
特設ステージもあり、私が訪問した時間帯は、何人かの女性が踊りを披露していました。
最初に「縁」を作ってくれた「音楽隊」の演奏を聴きたかったのですが、私のスケジュールとは合わなかった。
体験コーナーには「偵察用オートバイ」が置いてあり、同行者がまたがっているところを写真に納めました。
「アンタみたいに体が固くて足が短いとまたげないかもよ」
余計なお世話だ!
20 kgの背嚢(軍用リュックサック)を背負ってみました。かなりの重さですが、私も高校時代はワンゲル部夏合宿で30 kg以上を背負って八ヶ岳を縦走(段々軽くなっていきますが)したことがあります。
「これを背負って行軍するわけですね?」
「これに、さらに銃器を持つので、合計30 kgになります」
「……それはたいへん」
家の玄関に座り、30 kgを超えるキスリング(その昔、カニ族も背負っていた黄土色の横型ザック)を背負うと、自力で立ち上がるのがたいへんだったな、と若き日を回想しました。
防弾チョッキもけっこう重く、これを身に着けて動き回るのはかなりのエネルギーが必要だろうな。
「このチョッキに、さらに防弾プレートを差し込みます」
……そうそう、防弾プレート! 自ら複雑に亀裂が走ることで弾丸の運動エネルギーを吸収する板。構造材料開発に従事していた日々を想い出します。
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そんなこんなで展示コーナー、販売コーナーを見て回っている間、広いグラウンド(演習場というべきか)を74式戦車が来場者を載せて走り回っていました。
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さて、ひと回りして帰ろうか、と思った時に正門近くの古い建物が目に入りました。中央上部には、やはり「金シャチ」。
この建物は、明治30年(1897年)から歩兵第33聯隊の本部として使われてきた建物(その後、騎兵第3聯隊⇒野砲兵第3聯隊本部)だそうです。
今は「資料館」として使われているということなので、中に入ってみました。
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金シャチ(雌鯱)は1873年(明治6年)のウィーン万博に出品されて国際的にも人気を博したらしいので、その頃から既に「スター」だった?
1階の廊下を隔てて、左側が「旧軍」関連の資料、── 戦前の軍服や出陣前の寄せ書きなどが展示されています。
さて、反対側の陸上自衛隊のゾーンです。
壁にずらりと写真が貼られていますが、ほぼ半分ほどが、
《国際平和協力活動》
ハイチやカンボディア、東チモールなどへ派遣され、現地の治安維持等に貢献した記録です。
残りのうち、2/3ほどが、
《災害派遣活動》
東日本大震災、阪神淡路大震災、東海豪雨などに際しての人命救助活動の記録です。
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これはけっこうすごいことです。
海外の軍事博物館は米国Ohio州Daytonの空軍博物館しか行ったことがないけれど、実戦に関わる成果展示がほとんどだったと記憶している。他の国でもそうでしょう。
日本は80年近くもの長きにあたり、本格的な戦闘に直接関わらず、軍事クーデターも起きていない ── 「平和国家」だったんだなあ、と改めて感じました。
震災と水害の多発するこの国での自衛隊の活躍はよく知られるところです。この点、マスメディアはもっと報道してもいいのではないか、と思うのです。
宮城県にお住いのぺれぴちさん
からも[1/2]にコメントをいただきました:
自衛隊の方々には震災の時にお世話になったので、足を向けて眠れません。
この地方でも、東海大豪雨での救助活動貢献は大きかった。
「平和国家」がもっと続いて欲しいけれど、国家が個人独裁に近づくにつれて軍事衝突(軍事侵略)の危険が増すことを我々は知ってしまった。
個々の自衛官の方々が日々感じる緊張も、そのご家族の心配も増していることだろう、と思いながら、金シャチオブジェのある正門を出ると、その傍らに:
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