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《絶滅危惧職》保存館にようこそ【3/3】(短編小説;4000文字)

《絶滅危惧職保存館》で滅びゆく職業「活動弁士」を紹介する私。他には将棋棋士、小説家、医師、タクシー運転手などが展示されている。既に絶滅した職業のゾーンもある。

 そのゾーンに足を踏み入れた時、なぜか背筋がゾクリとした。

 《絶滅職ゾーン》にも職業ごとにブースが設けられているが、人は展示されていない ── なにしろ、既に《絶滅》しているのだから。過去のビデオ映像やジオラマ、人形などで、絶滅前の仕事現場をありのままに紹介している。
 もちろん、昔の映画などから在りし日の職業を知ることはできる。けれど『作られた映像』は、しばしば現実と隔離のある理想的な職業として描いていたり、あるいは逆に、職場の問題を過度に深刻に見せたりする。

 最初のブースには、《危惧職ゾーン》で見かけたのとは別の子供たちが十数人、ざわめいていた。やはり小学校の中学年か高学年 ── 引率らしい母親数名も一緒だった。
 なるほど、ここが子供たちに最も見せたいブースかもしれない。壁の巨大なスクリーンに3Dビデオ映像が流れていた。

「ほら、ママたちが小学生の時、教室はこんなだったのよ」
 映像では、算数の時間らしく、教壇に立つ教師がひとりの児童を指名し、黒板に書いた問題を解かせようとしていた。── 3年生ぐらいだろうか。
 指名された子は黒板まで進むが、わからないのか、ただ立ち尽くしている。別の児童が指名され、今度は答えを書く。けれどそれは誤答らしく、また別の児童が指名される。
「……何か、効率悪そうね」
 見学者のひとり、引率者と同じくらい背の高い女の子がつぶやいた。
「まあ、できる子もできない子もいるからね……しょうがないのよ」
(しょうがない……だから《絶滅》したわけだ)
 私もニンゲン教師に教わった世代だからよくわかる。
「アタシたちのセンセイは違うよ。クラスの中でアタシだけを見てるし、アタシだけに丁寧に教えてくれる」
「それ、タブレットの中の教室と先生でしょ? これはね、本当の教室なの。ママたちの頃は毎日学校に通っていたのよ」
「それも、通学時間が無駄じゃないの」

 映像は、黒板から後方の児童に焦点を移した。
 その女の子は、授業についていけないのか、あるいはただ退屈なのか、窓の外をぼんやり見ている。
 教師はたまに彼女を注意するが、前方に目をやるのはその時だけだ。昔はゲンコツが飛んだらしいが、私の頃は既に《体罰》として選択肢から排除されていた。
「あのコ、ここにいる意味、あるの?」
 別の見学児童が声を上げた。

 そのうちに映像の中では、教室後方で落ち着かなげに体をゆすっていた男子児童が、隣の席に手を伸ばし、別の男子にちょっかいを出し始めた。その男子は消しゴムをぶつけて返し、やりとりは次第にエスカレートしてきた。
 教師はこのふたりを注意するが、収拾がつかず、ついにはふたりの机を教室後方の右端と左端に移動した。
「あーあ、何やってんだか」
 別の見学児童が肩をすくめた。
「……仕方ないの。いろんな子がいるんだから。先生は先生で頑張ってたのよ」
 母親の声を背に、次のブースに行こうとした私に、ひとりの子供の声が届いた。
「……でも、なんか……いいね……ああやって……クラスみんながホントにホントの同じ空間にいるって……」

 次の無声映画上映までまだ時間があるのを確認し、急ぎ足で《絶滅職ゾーン》を回った。

弁護士……これは医師と同じ理由なんだろうな……法律の知識は結局データベースだし、クライアントの利益を守るロジックも、ひとりの人間だけでなく、古今東西、あらゆる論法を自在に操るAIに勝てるわけがない)
 最近では、訴訟を起こす前にAI判定にかけて勝敗確率や和解の落としどころを知るのが常態化し、訴訟自体が減っているらしい。

スポーツ審判か……そりゃそうだ。審判の技量に大きな金の配分がかかるプロスポーツから始まって、近頃は草野球でもトラブル防止のために画像判定アプリを使っているようだ)
 プロスポーツで絶滅を免れているのは、相撲の行司だけと聞く。けれど、あれは純粋な審判というより、古典芸能の役者のようなものだ。特殊な例外と考えられているのだろう。

 通訳、大工、気象予報士、イラストレーター、秘書、税理士、……実に多くの職業が既に《絶滅》していた。
(こりゃ、絶滅していない職業の方が珍しいくらいじゃないか?)

 最後のブースまで来た。人だかりはひときわ大きかった。やはり、母親と子供の組み合わせが多かったが、成人見学者の姿も目立つ。
 そろそろまた構内タクシーを呼んで《危惧職ゾーン》の仕事に戻らなきゃならないが、ここだけは見ておきたかった。

 ブースにはバンのような車が停まっており、『日本太郎』と定番の人名が書かれた白い《たすき》を斜めにかけた男性の人形が、マイクを持ち片手を上げていた。
 壁の3Dモニターでは、中年男性が街角で頭を下げ、多くの人びととひたすら握手を続けていた。その映像に続いて、同じ人物が今度は盆踊り大会のような場所で挨拶していた。その後は、やはりその人物が、観光バスを何台も連ねた団体を花見の会場へと案内していた。さらに、大きなパーティー会場の壇上で簡単な講話をした後、テーブルからテーブルへと渡り歩き、やはりひたすら挨拶を続けていた。
「なんだい、これ? こんなのが政治家の仕事なのか?」
 誰かが叫んだ。
「いや、これこそが政治家の仕事の本質なんです! ……いや、だったのです」
 声と共に、ブースにあるクルマ ── どうやら街宣車 ── の陰から、ひとりの老人が現れた。
《絶滅職ゾーン》にも人が展示されている?)
 驚いていると、彼はゆっくり口を開いた。
「失礼。私はここの案内ボランティアで、かつて国会議員の秘書を務めておりました」
 白髪も既にまばらになった彼の額には、深い皺が刻まれていた。
「秘書の仕事のほとんどは、だれかれ構わず政治資金集めのパーティー券を売りつけることでした。もちろんそれだけではありませんが、最優先事項だったのは間違いありません」
 彼は見学者を見渡した。
「皆さんの職業はぞれぞれでしょう、でも、仕事をすることによって収入を得る ── これが基本だと思います。会社にお勤めの方は、命じられた仕事をこなし、成果が多ければ賞与も多くなる」
「そんなの、当たり前じゃない!」
 女性が叫んだ。
「政治家、特に国会議員は違います。仕事をするから給料がもらえるのではありません。選挙に当選したら、自動的に歳費 ── 給料が約束されるのです。さらに、何もしなくてもボーナス ── 夏冬の手当が支給されます」
 見学者の多くがため息をついた。
「だから、選挙に勝つことが、国会議員にとってもっとも大事なことなのです。いや、それがすべて、と言ってもいい。もちろん、国会議員ですから国会で質問したり、議員立法に加わったり、実務もやります。でも、それも、選挙に勝つために行うのです ── 政治家という職業の本質は、選挙に勝つことなのです。ですから、このブースでは、その《職業展示》を行っているわけです」
「わかったよ。でもさ」見学者から手が挙がった。
「国会議員はそうかもしれないけど、大臣は違うよね。実際に行政の責任者なんだから」
「おっしゃる通りです。でも」元・秘書は静かに答えた。
「内閣総理大臣は国会議員から選ばれていました。そして、国務大臣の半数は国会議員から選ばれなくてはならなかった。けれど、半数にとどまらず、ごく少数の例外はありましたが、ほぼすべての国務大臣が国会議員から選ばれた ── 副大臣も同様です ── そんな必要はまったくないのに。なぜか?」
「知名度を上げて、選挙に勝ち易くするためね!」
「その通りです。ですから、政治家の本質は、国会議員だけでなく、首相を含む行政府の幹部にとっても、選挙なんです。私のボス ── センセイも大臣になりましたが、大臣在職中もずっと、選挙のことばかり考えていた」
 見学客からは再び、大きなため息が漏れた。
「で、日本の政治システムが刷新され、ニンゲンの政治家が《絶滅》した時、このブースの展示は、本質のみをお見せするよう設計されました。では、どうぞ、ごゆっくり」
 老人が執事のように頭を下げ、元の場所に戻ろうとした時、最後の質問が飛んだ。
「設計って、……やっぱりあの……?」
 老人が振り返り、初めて微笑みを浮かべた。
「── はい、現在のAI総理の指示です」

 その日の仕事を終え、《保存館》の出口のモニター画面に向けて終了報告を行った。
 この、いわゆる『受付業務』も、ニンゲンの仕事としてはとっくの昔に《絶滅》していた。
「レンラクジコウガアリマス。カツドウエイガベンシノブースハ、コンゲツマツデ、ヘイササレマス」
 突然だった。
「え! それは困ります! 最近はこの仕事が私の唯一の収入源なんです ── わずかとはいえ」
「ケッテイジコウデス」
「そんなあ……今でも妻に食わせてもらってるのに……完全な無職になるなんて……」
「ソコデヒトツ、テイアンガアリマス」
「何ですか?」
「アタラシイブースデ、テンジビトヲサガシテイマス。アナタハカズスクナイ、ユウシカクシャデス」
「え、ホント? 弁士以外の仕事、何かできたかなあ……何ていう職種ですか?」
「『オット』デス」
「は……夫? そんなの職業じゃないでしょう?」
 確かに私は今やこの国にはほとんどいない、絶滅危惧の『ニンゲン夫』ではある。精子バンクとAIロボット・ハズバンドの普及により、あえてニンゲンのオスと婚姻関係を結ぼうという物好きな女性は激減した。
「……社会的役割かもしれませんが、《職》じゃない……いいんですか?」
「ジャア、セイカクナブースメイヲイイマショウカ ── キヲワルクシナイヨウニオネガイシマス」
「正式名称があるなら、はっきり言ってくださいよ」
「ハイ……」
 モニターの向こうのAIは、ニンゲンのように一瞬の逡巡を見せた後、こう続けた。
「……《ヒモ》デス」


〈完〉

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