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どれも全巻ないあなたの家で

小綺麗にしている部屋を見て、僕が来るからと掃除をしたわけではないことを思った。生活感のある、居心地のいい綺麗な部屋だ。

「なにか飲む?」

既に冷蔵庫の麦茶を手に取ろうとしている彼女に、お茶で、と一言伝えた。この先この2人は、彼女を先頭に物語が進んでいくのだなと感じた。少し呆れたように苦笑いした。それを他人事のようにただ俯瞰して考える僕も、それを望んでいるのかもしれない。また少し呆れて、一人で小さく笑った。台所でプシュという音が聞こえた。

二ヶ月が経って今日、僕は初めて彼女の部屋を訪れた。なんの気なしに部屋の中を見渡していた。白いシーツが敷かれたベッド。白樺のナイトテーブルに置かれている小説や漫画。暖色のライト。ドライフラワー。木目の写真立て。ゴミ箱。充電中のヘッドホン。カーテンの隙間から漏れた光が、埃を照らしていた。なぜかその時、部屋にセピアのフィルターがかかっているように思えた。

ふと、本棚が目にとまった。ワンルームにしては大きな本棚だ。小説もそこそこに、彼女は漫画が好きなのだろうか。

「こっちが良かった?」

麦茶の入ったグラスを僕に、コーラの入ったグラスを自分の手元に、彼女がにこにこしながら言った。僕は小さく首を振って、乾杯した。

「結構本とか読むんだね」

そう訊くと、一番集中して没頭出来るのが本だって気づいたと教えてくれた。「最近は漫画にハマっているんだけどね」

本棚の下段には有名な小説も見たことのない小説も、歌集もエッセイもあった。売れ線の本だけが並んでいるわけじゃないところに、そこに彼女の本当の好きが集められている気がして、彼女という人間を少し覗くことができた気がした。

中段、上段には漫画が並べられていた。こまめに本棚の整理をしているのだろうか。きっと今ハマっているものを手に取りやすくしているのだろう。ふと気になることがあった。少女漫画も少年漫画も集められていたが、どれも全巻揃っていなかった。これは覗きたくない一面だったかもしれない。

この先の未来を想像してにやりとしていた自分が少し恥ずかしく思えて、僕は彼女のコーラを一気に飲み干した。あっ、と彼女は言った。

「コーラもう無くなるから、わざと言わなかったのに」

驚きと落胆を行ったり来たりして困った顔をしていた。
けれど大きく口を開けて笑ってくれた。

物語は、僕も先頭に立って続いていけば良いとおもった。
彼女の隣で。まずはコーラでも買いに。

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