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西野亮廣 「折り鶴を贈る側の想い」問題

ひろゆきさんとDaiGoさんは燃えたけど…。
西野先生は燃えなかったな。

被災地への折り鶴不要論

 これは西野先生がずっと前から言っていることだが。

「劇場への差し入れは要らないです!」
「むしろ、止めて! 絶対にしないで!」

 と訴えかけているにも関わらず、大量のスイーツを差し入れされたり。
 また、焼肉屋で

「自分で食べる肉は自分で焼くから、放っておいて!」

 と言っているのに

「ほら、今が食べごろだから!」

 と勝手に焼いて勝手に皿に置いていく焼肉奉行とか。

「やらないでと悲鳴を上げているのに…。
 訴えかけているのに、こちらの思いがまるで伝わらない」

 という事例を挙げつつ…。

 そういう人は、こぞって

相手私たち想いを考えろ!」

 と反論してくるのだとか。


 で…その話の中でさらりと

「被災地で瓦礫ゴミを撤去したのに、再び千羽鶴ゴミを贈ってくる人がいる」

 とブッ込んでいた。
 西野先生はこの現象を

千羽鶴ハラスメント


 と言っていたが…。
 確かに、ハラスメントだな(苦笑)。

 贈られる相手が「それは要らない…欲しくない」と思っているのにも関わらず

「私達の”想い”を受け入れられないなんて不届き千万!!」

 と…。
 この自己満足自慰に巻き込まれるのも迷惑だよね。
 それは一人でやってろ…と。

 東日本大震災の時も、津波で家財道具などが流された人々に「洋服を贈ろう!」ってなったと記憶しているが、その殆どが古着で…。
 いわば東北の人たちは、自分たちが着なくなった洋服の「ゴミ処分」に利用されたっていう(苦笑)。
 それだけの”経験”を積んでいるはずなのに、未だ日本人は新品のものではないゴミ同然の古着を被災地へ贈ったり、最終的にゴミにしかならない折り鶴を贈ったりすることを止めない。
 そして、それを【善行】だと思っているのがタチが悪い。


 そんなマスクに関しても同じようなことが起きていると語っていて…。
 お酒とウイルスに明確な因果関係のデータが無いにも関わらず、飲食店の営業時間を制限したりとか。

 西野先生はこれら全てをひっくるめて

「正義と正義のぶつかり合いだから仕方ない」

 と語っていた。

 まぁ、確かに「被災地に想いを寄せていることを形にする!」というのも正義だし、「想いを贈られても処分に困るから止めて欲しい!」と願うのも現実問題としての正義だ。


 ただ…そんなことをしているから

 大統領が「戦うための武器をくれ!」と願っているにも関わらず…

 日本人は(良かれと思い)食い物を送って…

 ウクライナ政府の公式動画に日本の名前が無く「感謝されていない」なんて事態が発生するわけだよ。

 これに関しては、武器の輸出とかは日本の憲法・法律に引っかかるから出来なかったのかもしれない。
 ただ、

相手に求められないことをしても感謝されないの、当たり前だよね

 という感覚は持っていないといけないな…と思う。
 「今、私たちに出来ることをしよう」というのは、自分たちの勝手な想いであって。
 相手が求めている想いをまるで考えていない。
 そんな人たちは、自分たちが気持ちよければそれでいいのだ。

 「就労支援センターだから折り鶴を折ることでしか支援出来ないのは仕方ない」ではないよ。
 だったら、もっと別の支援の仕方があるだろう?


 他にも、日本の自衛隊がウクライナの隣国のポーランドやルーマニアに毛布などを運ぶ計画を立てたところ、備蓄倉庫のあるインドが拒否する事件が発生。

 いや…そんなのポーランドやルーマニアに金銭を支援して、現地で調達すればいいだけの話じゃん?
 要は日本人は「善意のパフォーマンスしたがり」なわけだ。
 これも、日本人特有の『想い』だよね。
 日本から苦労して物資を運びました…というパフォーマンス。


 なんか、そういう善意をパフォーマンスしたがる人が多い一方で…。
 『24時間テレビ』とかの番組だったり、高額の募金・寄付をした有名人を

「売名行為だ!」
「偽善者め!」

 と鬼のように叩く風潮も同居している。

 不思議な国だよね…日本って。
 結局は、自分の考えと違うことをしている人たちを叩くだけなのか。




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