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嘘を並べると記憶がなくなる。

こんばんは。社会起業家/中小企業診断士の浜俊壱(shun1.hama)です。
このnoteでは、
「社会起業家/中小企業診断士っていいですね。」

「どうやったら独立できるんですか?」
「どうやったら経営は上手くできるんですか?」
「何をどういう風に考えているんですか?」

と、よく聞かれることを
自分の人生の棚卸し日々考えていることの言語化を通してお伝えしていきます。

ほぼ毎日noteを書き続けて、今日で675日目。3,000日チャレンジ達成まで残り2,325日。

今日は毎週水曜日恒例の打合せラッシュデー。今日は昼間に少しブレイクを入れることができたため、何とか12時間打合せを完走できました。
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さて、本日のテーマは「嘘を並べると記憶がなくなる。」です。早速書いていきたいと思います。

ナチュラルにごまかす癖

今まで、一度もウソをついたことなんてない。

もしかしたら、そんな人もいるかもしれませんが、多くの人は相手を慮っていたかは問わず、何かしらの「ウソ」をついたことがあるでしょう。

私もウソをついたことがあります。見栄を張ったことも何度もあります。

ウソをつくと、不思議なことが起きるんですね。

ウソが自然と口から出てくるようになります。

ナチュラルにごまかすということになってしまいます。

そんな状態になったらどうなるのでしょうか?

矛盾が生じる

ウソをついた人に対して、ロジカルに話をしていくと、時系列があやふやになったり、言っていたことが逆になったり、と、何かしらの矛盾が出る可能性が高いです。

それもそのはずです。

ウソを塗り固めるためのウソをつく必要があるからです。

それがいくつか塗り重なってくると、最初と最後についたウソに矛盾が生じる時が訪れます。

その矛盾点をロジカルに詰めていくと、どうなるでしょうか?

記憶がなくなる

このタイミングで、おそらく大抵の人は、観念してウソをウソと認めることになります。

ですが、それでもウソを貫き通す人もいます。

そんな人は、ウソか本当かさえも分からない、と言い出すことでしょう。

つまり、「記憶が曖昧だ」と。

これは都合の悪い時に限って、記憶が無くなってしまう、というどこかの政治の世界で聞いたセリフと同じです。

この記憶がない、という言葉はやはり便利です。

なぜなら、状況証拠だけでは確実にその人がウソをついているということは断定できないからです。

ウソの何がいけないのか?

一方で、ウソをつくことの全部が悪いとも私は思いません。

相手が知らない方が良いこと等、相手を慮ったウソも中にはあるからです。

とは言っても、やはり基本的にウソはよくないと私は考えています。

なぜなら、ウソは故意だからです。

つまり、故意に人を騙そうと思わなければ、ウソはつかないです。

そしてそれは、結局、自分の身を守るといった身勝手な思想から来る考えなのではないでしょうか。

ウソをつくとその場は凌げたとしても、いつかは凌げない時が来る。

そうであるなら、最初からウソなんてつかずに素直に認めて謝罪するということが、よほど潔く好感が持てますし、双方にとって良いのではないでしょうか。

何より相手を疑うことも疑われることも、どちらも良い気持ちにはなれません。

ですので、なるべく、ウソなんてつきたくはないですよね。

「あ、よく覚えていないんです」

そんな言葉が聞こえてきたら、きっと要注意でしょうね。

・・ということで、今日はここまでです!
最後まで読んで下さりありがとうございました(^^)

明日も皆さんにとって、良い一日となりますように!!

まとめ

ウソを塗り固めるためのウソをつく
・ウソを貫き通す人の最終奥義は、「記憶が曖昧」です。
・ウソをつくことは基本的に良くない。
故意に人を騙そうと思わなければ、ウソはつかないから。

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