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「敏感すぎる」という言葉に敏感に反応してしまわないために必要な2つのこと

もうずいぶんと前から、スタッフをしているNPOの公式ブログやこのnoteなどで、自分のHSPの体験談や思っていることを書き綴っています。

すると、たまに「なんだか悪いように言われている気がします」「敏感すぎる、という言葉が辛いです」という反応をいただくことがあります。ああ、こういうところにも繊細さが出るんだな・・・と思う反面、自分自身もHSPなので、正直に書くとこうしたフィードバックをいただくことで自分の発言したことに少し自信を持てなくなることも、普通にあります。

もちろん、こうした反応をいただくということは自分の文章がつたない、ということでもあります。しかし、べつに正当化したいわけではないのですが、この下の写真をご覧ください。

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うちの本棚にあるHSP関連書籍の一部なのですが、よく見ればこのラインナップの半分に「敏感すぎる」という文言が含まれています。つまり、HSPの何かを発信するにあたって、この「敏感すぎる」という言葉はかなり多用されている、ということを意味しています。

そして、これらの本はすべて何度も読み返しているのですが、いずれもHSPや繊細さについて真摯に向き合い、決してHSPを悪者にしているようなスタンスのものは1冊もありません。テレビのHSP特集でたびたびコメントを寄せている長沼睦雄先生でさえ、著書のタイトルに「敏感すぎる」という言葉を入れているほどです。

要するに、こうした本の著者はみな「敏感すぎる」という言葉を決して悪いことのように使っているわけではないのです。もちろん自分もそうです。まずそこの信頼関係を結べない限りは、数多ある書籍やnoteなどのネット記事から自分にあったHSPの情報を得ることがむずかしくなってきます。

では、「敏感すぎる」という言葉に敏感に反応してしまう人は、どうすればいいのでしょうか。

パッと思いつくだけで2つあります。

「敏感すぎる」ということを受け入れる

少し厳しい言い方をしますが、「敏感すぎる」という言葉を敏感に受け取ってしまう人は、心のどこかで「敏感すぎる自分」というものを受け入れられていないのではないでしょうか。

これは「受け入れられないあなたはダメな人間です」と言いたいわけではありません。1にも2にもこの段階をクリアしないと、より自分のことを知ったり、理解を深めることができなくなると思います。HSPに限らず、自分にはこういう特性があるということを知っていないと、たとえば進路決定においてぜんぜん自分とは合わない道を選んでしまって生きづらくなる・・・ということもよくある話です。

こうしてnoteを書いている僕だって、敏感で良かった!と思うことがある反面、その敏感さが仇となることも毎日毎日あります。そのたびに学習能力が無ぇなぁオレ、とか思って凹みます(昨日も凹みました)。でも、だからといってものすごい特殊な訓練を積めば敏感さが消えますよ!と言われても確実に手を挙げません。

それはいま、敏感さや繊細さのことをきちんと知った上で、自分がどのようにすればその繊細さを社会で、職場で、コミュニティで活かせるか、という点に着目して生きるのが楽しいからです。自分から繊細さ敏感さが消えたら、自分から長所が消えてしまうんじゃないかとすら思っています。

HSPの書籍には、読み手がものすごく繊細な人を想定しているからか「キツいことを言うようですが」とか「決して誤解しないでくださいね」などとフォローするような文章が前に置かれていることがよくあります。こういう言葉を挟まないと怒るHSPの方も多いんだろうなあと思う反面、ここまで「誤解しないでくださいね」と言われるとそれはそれで辟易するなあ、と思う自分もあります。

・・・ということで、「敏感すぎる」という言葉に敏感に反応してしまわないために必要なこと、2つ目がこれになります。

別に自分に言っているわけではないと考える

実際HSPの当事者でHSPに関する書籍を上梓したり文章を発信している人って、べつに「すべてのHSPの人」を救うためにやっているわけではないと思うのです。(このあたりは後日また長々書く予定です)

たとえば『繊細すぎてしんどいあなたへ――HSP相談室』と言う本は中高生向けに書かれているので、大人が読んでもあまりピンとこないかもしれません。『敏感っ子を育てるママの不安がなくなる本』はその名の通り、繊細な感覚を持ちつつ子育てをするお母さんに向けて書かれている本です。HSPの本の中でも、ある程度読み手のターゲットを絞って書かれた本も最近多くなってきています。

正直、僕もHSP当事者ですが、数多の書籍を読んでいて「いやそれはHSPとは言えないんじゃない?」と思うこともありますし、本で述べられていることが理解できないこともあります。そういうときは、「この文章は自分に向けて言われているものではない」と割り切るのもひとつの手だと思います。

HSPという特性が世に知れ渡った『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』の第9章はスピリチュアルな話になってきますが、この項だけは何度読んでもまったくピンときません。しかし自分がHSPであると気付かされたのはこの本ですし(詳細はこちらのエントリをどうぞ)、何かあったら読み返すのもこの本です。

1冊の本でも「これは自分にあっている」「これは理解できない」ということがあっていいと思います。「理解できない」と思ったときに、「この人は悪いように言っている!!」と感じるのか、「自分には当てはまらないけどこれが参考になる人もいるんだろうなあ」と感じるのかによって大きく違うのは、もうこれ以上説明するまでもないと思います。

まとめ

こんなこと、できたら苦労しないよ!と言われかねない2つの考え方をまとめてみました。

繰り返しになりますが、マイナスな反応をいただくと「自分の意見が違ったのかなあ」と非常に不安に思ってしまいます。かと言って別にマイナスな反応をするなと言うわけではありませんが、読み手の側にも「受け流す」ということが必要なのでは?と思うことは正直、いくらでもあります。

感想を言うことに関しては前にこんなエントリも書いているので、よろしければお読みください。

人によっては否定された!と思われるかもしれませんが、どこかで自分の意見が役に立った!と思った方が1人でもおられたら、自分はとても嬉しいです。

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