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公営書店のコスト、「本に接する」意義高い投資

 青森県の八戸市を中心とする県南部で広く読まれている地元紙「デーリー東北」。同紙の人気コラムで複数の寄稿者が執筆する『私見創見』を2020年から約2カ月に1度のペースで書いています。
 第9回は2021年10月5日付から。筆者の故郷である八戸市にできた公営書店が持つコストを超えた価値と意義について。若者への投資ととらえたい。
(※掲載時の内容から一部、変更・修正している場合があります)

「八戸ブックセンター」は全国初の自治体直営書店(離島以外)として2016年12月に開業した。民間のブックコーディネーターと組み、「大都市でしか入手できないような本に接する機会」を行政サービスとして八戸市民に提供する書店だ。

八戸市が2021年8月下旬に公表した事業報告書によると、4期目となる2020年度の書籍売り上げ収入は1086万円。2019年度が1384万円だから、コロナ禍が直撃した中で健闘した方だろう。

一方で運営にかかる費用(歳出)は2020年度が8996万円、2019年度が8489万円だった。差額となる赤字分のほとんどに市の予算から税金(2020年度は約7430万円、2019年度は約7620万円)が投入された。

――こう書き始めると、批判が展開されると思われるかもしれない。紙の本が売れない時代、損益が赤字必至の公営書店に賛否両論があると理解しているが、筆者は思い切った策だと個人的に評価している。

街の本屋さんは長く、付近の住民に「文化的な生活の入り口としての本」に触れる機会を与えてきた。特に興味や好奇心を爆発的に伸ばしている子供たちが、世界の「知」に触れる窓口だった。

その書店が激減している。出版科学研究所によると、1999年に全国で2万2000店余りあった書店は、2020年には約1万1000店へと半減した。地域人口が少なく、売上高規模の小さい地方の書店から、先に不採算店舗を閉店していった。

コンビニが全国各地で増えて新刊が並ぶが、よく売れる新刊マンガや雑誌がほとんど。子供でも自分の好奇心のうつろうままに本を手に取り、おこづかい程度の金額で新しい世界に触れられる機会は、全国で壊滅的に失われた。

現在はネットがその役割を果たしている、との意見もある。だが、情報が全てあるようにみえても虚偽やウソ、フェイクニュース、特定企業・団体の利益誘導のための審査されていない広告などがめじろ押し。それがSNSで拡散される。

そうした情報の正誤は判定しにくく、適切にネット情報を扱える知識や能力(リテラシー)が高くない若者たちほどフェイクに染まる危険度が高い。書籍は著作者や編集者が血のにじむ努力をつぎ込んで正確性を期しているので、そのリスクはより小さいのだ。

ネット通販書店を通じて全国どこでも多くの本を買えるようになったが、「興味をひかれた本を手にとって吟味する」という点で困難はまだ多い。購入者の評価も「的はずれ」が多く、手に取れないストレスは解消されない。

八戸ブックセンターが提供する「本に接する機会」は、ネットの普及で書店のビジネスモデルが世界的に崩れた今、重要な意義を持つ。むしろ、以前より改善されているかもしれない。

筆者が子供〜高校生の頃だから35年以上も前の話。八戸市内の繁華街には伊吉書院、木村書店など有力書店があった。だが、ちょっと専門分野に踏み込んだ本は店内の書架で見つけることは難しかった。

上京して紀伊国屋書店、丸善、三省堂書店といった大型書店で奥深い「本の森」に分け入って、思いがけず奇書・良書に出会った時の興奮たるや…。多くの地方出身者が同様の経験をしただろう。これはネット時代にも色あせない喜びだと思う。

その感動を与え、知性の素地を子供や若者たちに作りうるブックセンターの運営コストは、教育の面から「投資」である、と見なしたい。

「図書館でいいじゃないか」との声もあろう。だが図書館で借りた本は、家に長く置けない。親が買ってきた本を「何だろう?」と思う、子供の好奇心を育てにくい側面があるからだ。

現実世界とネットとの融合が過渡期にある現在、公営書店はテクノロジーや科学に対する知識や人文学的な教養の基盤づくりに、行政がコストを負担する時代が訪れたことを意味する。その意義は今後ますます大きくなるかもしれない。


(初出:デーリー東北紙『私見創見』2021年10月5日付。社会状況については掲載時点でのものです)

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