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愛着を持ち続けるということ

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」を遅ればせながら劇場鑑賞し、あまりの完璧な面白さに泣きそうになりながらエンドロールを眺めていたところ、任天堂チームの日本人の名前をちらほら見つけた。ワタナベとかサイトウとかもちろん知らない誰かの名前なのだけど、作品に携わりその作品にクレジットされることへの憧れの気持ちを思い出した。仮に自分の名前が超超面白い映画のエンドロールにクレジットされたのならどんなに感動できるんだろう!とまるで子供の夢みたいなことを思った。当方31歳である。

 先日のTBSラジオ「こども電話相談室」で、小学5年生の男児が「将来の夢は宇宙飛行士です!」と宇宙に関する質問をキラキラした目(実際は見えないのだけど)をしながらしてるのを聞き、「宇宙飛行士になりたい夢なんていつまで持ち続けられるのか。中学生になったときにはもうきっと…」と反射的に思ってしまうくらいには、私は汚い大人になってしまった。男児は好きなことを仕事にしたい野望でいっぱいなのにどうしても邪な思いが出てくる。
 憧れを仕事にしたい。好きなことを仕事にしたい。そういう純粋な思いに愛着を持ち実行し続けることは実際のところ大変である。「どうしても編集者になりたいんです。奥付に名前を載せたい」と願いキラキラしてた18歳の私は、10年そこらでもういなくなり、今ここにいるのは現実主義の権化となった疲れた人間だ。情けないことなのかもしれない。純粋な本好きとして出版業界に足を踏み入れたはずが、好きなものを仕事にしたらだんだん苦しくなることが増えていった。24時間働くのをやめて、現実を見、自分の体調をみて、ギャランティの額をみて、できることとできないことを見極め、仕事に線引するようになっていった。仕事を自己実現のツールとして使うのではなく、自分を守り生かすための手段と捉えられるようになった。なってしまった。なってしまった?

「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」みたいな映画を作りたいなー。エンドロールを眺めながらふと阿呆みたいなことを思っていた。人々を感動させる何かを作ってみたい。そんなとりとめもないことを30を超えた身分で漠然と思うと同時に、でもまた10年くらいやったらきっとその業界の黒いところに目が行くようになり、目的を失い、心が離れていってしまうのだろうとも思った。純粋な愛着を持ち続けることはきっと本当に大変なのだ。少なくとも私にとっては。
 本の編集という職業にのめり込みすぎて、一度は書店に入るのが怖くなり、一度は何を読んでも楽しく無くなってしまった時期のことを思い出す。ずっと、一つのものに愛着を持ち続けられるというのはまごうことなき才能なのだ。スティーブン・スピルバーグとか、トム・クルーズとか、ずっと同じ仕事を、たとえば定年まで続けていく人もそう。ずっと同じ商品を愛を持ってPRし続ける企業の人も、意義と責任を持って取り組むエッセンシャルワーカーも。

 「ザ・スーパーマリオブラザーズ・ムービー」があまりにもおもしろすぎて、おかしな感情が表に出てきてしまったが、それはもちろん実行しない。するわけない。映画を嫌いになりたくない。敬意を持って映画を観客として観続けようとおもう。


今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!