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【映画評】ソウルメイト/親友のたましいの約束

※ゴリゴリにネタバレしてます。画像のあとから本文はじまります。


子供の頃の友達関係と大人になってからの友達関係って結構違う。「なんであの時あんなに仲良かったんだろ?」と今思うと不思議になるような人も正直いて、残念ながら普通にいまは疎遠だったりする。
そんな経験をかんがえると、どんなことがあっても互いをソウルメイトだと思えてたハウンとミソの二人の関係は奇跡的なのかもと私は思ってしまう。

かんたんなあらすじは、性格も真逆、生育環境も真逆な幼馴染のミソとソヨンが韓国の田舎の島、チェジュ島で暮らしている。二人は絵を描くことが大好き、いつでも一緒の大親友&一心同体。でも、中学の時にソヨンにジヌという彼氏ができて、関係性が変わっていく。ミソとソヨン、大人になってもくっつりたり疎遠になったりを繰り返すがある日、大人になったソヨンが忽然と姿を消してしまう…。

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私は友達と同じ人を好きになった経験がないせいか、一度「友達の彼氏とチューしちゃったー!」となったら、その友達とはそれっきりになっちゃうのかなと思ってしまう。私には趣がないのか。

同じ人を好きなのはわかってる、けど大親友に変わりはない、けど苦しい……みたいな複雑な感情を持ちながらもお互いに大きな親友という存在であり続ける素直な苦悩の経験自体って、ひととして恵まれてるんじゃないかな、とすらアダルトチルドレンでもある私は思ってしまった。まぁそれは置いておいて。

環境や価値観で関係性は変わってく

恋をすること。進学すること。思えばそういう当たり前の選択のたびにひとは大人になり、いままではただ仲良く一緒にいられたのに、環境や価値観の微妙にズレが出てくる。それは当たり前のことだ。

32歳の私のまわりの同い年の友達は、子供がもう3人いたり、妊活してたり、婚活してたり、死ぬほど働いてたり本当に環境も価値観もさまざま。
高校のときの親友がある時「子供はいつ産むの?」というおすすめを何度もひどくしてくるものだから、そんなこと考えられる環境にない私はつらくなって、いつの間にか連絡を取るのをやめてしまった。でも、それでいまはいいと思ってる。いまは人生も価値観も環境も平行線で交わらないが、ひょんなところからまた、17歳の私たちのように、もう一度笑顔で話せる日が来るんじゃないかなと思っている。この映画を観ながらそんなことを考えていた。

自由な生き方に憧れるハウンの生き直し

ハウンがいつもどこか自由なミソに憧れてて、だいぶ人生過ぎてからやっっと絵を始めるとか旅に出るのとか、自己実現するのに遅すぎることはないんだなと思った。

自分のやりたいこと、表現したいことに小さい頃から素直になれてたミソに対し、自分の欲望よりも周りの期待に敏感で、自分の意思とは関係なく役割期待を全うしていく生き方をしてきたハウン。チェジュ島に残ること、教師になること、ジヌに好かれる自分でいること。いつも隣にいた(離れてる間は心にいた)ミソが、ハウンの抑圧されてた感情を少しずつ少しずつほぐしていったのかなとも感じた。まさにソウルメイトだ。

韓国人女性の描写、家父長制の解体

韓国、特にソウル、女性一人では家を買える状況にないらしいと聞くので(日本も同じようなもんか)、大人になったミソが、バイト先の常連客の女性と夫が先に死んだ女性と3人でルームシェアしてる描写はナチュラルでリアルだなと思ったし、いわゆる「夫婦+子供」みたいな家父長制的な家族観ではなく心地よいと思える女性たちと暮らす、というミソの選択はきっとハウンにとっては目からウロコだったんだろう。

出産前のハウンにミソが言った「子供を産んだら自由に生きて」というセリフもぐいぐい心に沁みてくる。
(実際は現実じゃなかったけど)ハウンが無事出産した世界線で、「子供を産んだら自由に生きて」とミソが伝えたとおり、生まれたばかりの赤子をおいてハウンが出ていくシーン、ミソが「子供を置いてどこいくの!母親なのに」的なことをひとっ言も発しなかったのもよかった。子供が生まれたら普通は自分の名前が消えて突然「母親」という看板をつけなきゃいけなくなるけれど、その後この秘密を知ったジヌですら母親責任論的なものを発することなく、ただ我が子にそっと寄り添う。この映画ではみんなただの「人間」でいた気がする。すごくよかった。


27歳から人生を、はじめる

ハウンの子を自分の子として育てることを決めたミソは、なぜ秘密を守り抜こうとしたか。「(子供には自分が母であることを言わないと)ハウンと約束したから(父であるジヌに伝えなかった)」と劇中話していたミソ。さらにハウンのい居所は教えない。秘密なのだ。じつは、ハウンミソが秘密を約束したシーンも、遺言を残したシーンも見当たらなかった。自分がもし死んだらそれは誰にも教えないで。そんなことをハウンが言うシーンはない。その“約束”は、きっと魂のやくそくなのだ。言葉など介さずハウンとミソのあいだでしか成り立たない約束なのではないか。

ラストシーン、広大な凍った氷のうえを一人で歩くハウン。絵を描くためのシベリア旅行で、葉書に描かれた風景を目指す。それは、27歳にして初めて、自分の気持ちに正直に好きに生きることを始められたハウンでもある。ジャニス・ジョプリンが、死んだ年齢からハウンは生き直すのだ。きっとミソはそれを知っている。だから、ハウンとの“約束”を一生かけて守っていく。ハウンの魂を解放することを、死ぬまで続けていく。

そしてミソは、文字通り親友と一心同体となって絵を描いていくのだ。

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今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!