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後悔の味を重ねていく(1月16日〜1月22日の日記)

■1月16日
 オット氏が飲み会で夜遅かったのにも関わらず、パニックにならずに済んだ。大食いの清々しいYouTubeを見て、23時過ぎにバターたっぷりの釜玉うどんを作り食べてしまう(三年食太郎さんというユーチューバー)さらに、死にかけのナスを揚げ浸しに、これまた死にかけのれんこんを素揚げして黒酢和えにするなどした。

■1月17日
 精神科通院日。ここ一ヶ月一度もパニックになっていないことを告げ、主治医に「すばらしい」と初めて言われる。自分を冷静に分析することができているねと言われ、元々考えることが好きな性格なので、それがいい方面に作用しているようだ。感情の波は少なからず誰にでもあるもの。それの波が大きく、衝動的な行動に出てしまうのが境界性パーソナリティ障害なので、今自制できているのはとてもいいことみたいだ。

■1月18日
 先月一度もパニックにならなかったと言った矢先、やってしまった。
 書くのも恥ずかしいくらい些細なことで、“オット氏は私を大切にしていない”思い込みが突如発動し、症状が出た。泣き喚き、喉が潰れた。壁とオット氏を殴った手がまだ痛い。相手も自分も許せない気持ちに支配される。防衛本能が働くのか、〈大事にされていない=相手は敵である=攻撃せよ〉といった具合に脳のニューロンが反応する。もうやめたいのに繰り返す。自分で不安を止められず嫌になる。菩薩のようなオット氏は「それでも前よりよくなってきてるよ」とおだやかに言ってくれる。
 茹で汁に長い時間放置してしまいぶよぶよになったパスタをトマトソースで和えて食べた。後悔の味を忘れたくない。

■1月19日
 朝イチで、午後の打ち合わせがドタキャンされる。今一緒に仕事をしている相手はだらしない。それでよく会社員やっているな〜と思うが(しかも管理職)、そういうもんなのか。打ち合わせなくなった開放感で昼寝をした。
 さすがに何もしないのはまずいと思い、午後からオット氏と図書館へ行って作業&勉強。夜は週末のグランピングの買い出しに行った。焚き火をするので、万が一穴が開いても後悔しない安いアウターを古着屋で購入。そうめんを茹でて食べた。

■1月20日
 しっかり眉毛を描き、マスカラとリップだけ塗るシンプルなメイクが最近はお気に入り。
 朝から昼ごはんのおにぎり用の米を研ぐ。今日は午後からグランピングに出かけるのでそわそわする。午前中のオット氏の仕事が終わり、電車に飛び乗る。私たちは車を持っていない。グランピングやキャンプ施設はほとんどが山奥にあるから、車で行かないのは若干無謀ではあるのだが、電車やバス、タクシーを使って目的地についた。
 野外サウナやバーベキュー(ラム肉を焼いた)持参したメスティンで燻製料理を作ったりしてグランピング初心者にしては上出来だったと思う。酒と食べ物ではち切れそうな腹で、備え付けのテントで寝た。山々は怖くなるくらい静かで、星空はありえないほどきれいだった。ときどき野良猫なのか野猿なのか、生き物が喧嘩する鳴き声が聞こえた。

■1月21日
 信じられない寒さで6時ごろ起床。極寒の山の中外気と隔てるのはテントの布一枚。どれだけ毛布をかぶっても、ホッカイロを体に貼りまくっても寝返りを打つたび暖かさの居所がなくなり、寒さで目が覚める。地面に落とした氷が一晩経っても溶けずに残っているくらい寒い。
 朝露がとけてぼたぼたと水滴となって落ちてくるなか、せっかくなのでまた野外サウナに入る。メスティンで米を炊き、持参したインスタント味噌汁で朝ごはんとした。ビルも建物もなにもない、朝の空気がつんと冷たくて、食べ物の暖かさが胃の中に落ちていく。東京で暮らしていると出会えないものに出会えた気がする。帰りは近くの温泉に行き、たっぷり三時間凍えた体を温めてから帰宅。ベッドがこんなにも温かいのか、と涙するほど感動した。おうち最高。
 夜、買ってきた地産のそばを茹でて食べようとしたとき、オット氏の些細な一言にひっかかってショックを受けてしまう。だめだとはわかっているがオット氏を自分自身だと思っている節があり、“自分”の思い通りにならないと落ち込んでしまう。他人は思い通りにならないのが普通なのに。昨日今日と楽しいまま終わりたかったのに。またもや無駄な感情に振り回され、そばは後悔の味。

■1月22日
 温かいベッドのなかで起床した日曜日。寒さも風もない住宅のありがたさを感じる。
 午前中から隣の駅まで買い出しに行く。なんだか料理をしたい気分になって、唐辛子粉とりんごのすりおろしで和える簡単なキムチと、真っ黒の死にかけバナナを使ってパウンドケーキをつくった。夜はコブサラダを作り、寒くなるまでもりもり食べた(野菜は食べすぎると体を冷やします)
 母からの「キムチうまくできた?」というさりげないLINEがきっかけに、夜中に症状が出る。母への怒りが湧き出て、「どうして干渉してくるの」などと妄想が爆発。そのまま泣きながら母に電話という、精神疾患者らしいことをしてしまう。母とわりかし腹を割って話し、「今日みたいに何をぶつけてくれたってひさこのことを好きなのは変わらない」という言質を取り、安心して眠りにつく。隣で聞いていたオット氏は、「ほら。一方的に突き放すのではなく、話をしてみないとわからないもんでしょ」と言った。
 親の干渉のせいで自分の気持ちを外に出せなかった、愛されてこなかった、と主張してきた私だが、母に話を聞くと思春期はしっかり意思を持って反抗していた時期があったし、ちゃんと嫌なことに対して怒っていたという。なんだか拍子抜けしてしまう。記憶が抜け落ちているのだ。すべてを親のせいにして、私はあまりにも自分勝手ではないか。0か、100かの思考スパイラルのなかで、「わたしは○○だったに違いない」と決めつけてるだけではないか。自分の思考に支配されたくない。もっと自然体で客観的でありたい。

今度一人暮らしするタイミングがあったら猫を飼いますね!!